知り合いと谷川岳に行こうとしていたが、直前になってロープウェイが動いてないことを知り、中止に。代案の赤城も猛暑によるメンバーの疲労を考え、取りやめとなった。
ソロでどこか、前泊日帰りくらいで行けるところを急遽探した結果、この尾瀬の未踏の峰を目指すことにした。数年前の6月、燧ヶ岳(ひうちがたけ)から水芭蕉咲く尾瀬ヶ原を歩こうとしたが、御池からの登りが難路で残雪多く、登頂を諦めてその時は尾瀬ヶ原を歩くだけになった。
柴安嵓から、奥日光の山並みをバックに尾瀬沼を見下ろす |
大きな駐車場のある御池からは沼山峠登山口までのシャトルバスが運行されている。これを利用すれば日帰りでも無理なく、しかもマイカーでも往復山行を避けることができる。
東北自動車道を西那須野塩原インターで下り、いつもの会津街道ドライブとなる。眺めよく運転の楽しい道だ。しかし尾瀬までは長い。インターから2時間は裕にかかりそうである。
荒海、田代山登山口への入口を見て、檜枝岐の先の会津駒登山口も過ぎると国道は上りになり、ロッジと休憩所のある御池(みいけ)駐車場に着いた。
もう日も落ちたのであたりはしんとしている。暗くなる前に車中泊の準備をする。同じように明日登る予定の人も多いようで、駐車場内でテントも張られていた。
翌朝、早起きして4時30分始発の沼山峠行きシャトルバスに乗り込む。天気はいいようだ。
シーズン外であれば、沼山峠へは会津高原尾瀬口駅からの路線バスに乗るのだが夏はこのシャトルバスとなる。少なくとも30分に一本出るので便利だ。
朝早いせいか乗客は10名もいない。もっとも、水芭蕉やニッコウキスゲの咲く時期ならこの時間でも混雑するだろう。
バスの運転手さんは途中のブナ平上部でバスを停めて、周囲の説明をしてくれた。尾瀬のブナ林帯は、尾瀬沼や尾瀬ヶ原への登山口より低いところに位置しているので、尾瀬でブナを見るには七入などもっと標高の低いところから歩き出す必要がある。
休憩施設のある沼山峠に着く。ここにも人影はなく、静かだ。シラビソの樹林帯に敷かれた木道を緩く登っていく。湿原に出る前から木道だったので、今日はもしかしたら土の道を歩くことはないのかな、と思う。
急なところはなく、尾根の背のような場所に上がる。白い幹のダケカンバが現れる。登山ガイドには沼山峠展望台というのがあると書かれているが、ベンチのある小さな休憩地を見ただけで、それほど眺めは開けない。樹林が伸びて見晴らしが悪くなったのだろうか。
木道を、今度は緩く下っていく。笹原の中にツリガネニンジンが咲くのを見る。登山者カウンターをくぐると樹林が切れ、一気に眺めが開けた。大江湿原の一端に出たようだ。
木道が一直線に伸びる広大な湿原。一帯は朝霧に煙り、幻想的な眺めである。大江湿原はニッコウキスゲの有名な場所であるがすでに花期は終え、緑の絨毯になっている。見られる花もオオバギボウシやワレモコウなど、盛夏から晩夏のものになっていた。
小淵沢田代への道を分け、さらにその先の右手に分岐する木道に入る。少し盛り上がった台地はヤナギランの丘と言われるそうで、文字通りヤナギランが群生していた。
その先に尾瀬の開拓者である平野一族の墓地がある。尾瀬の山小屋や登山道は、長蔵小屋や長英新道など、平野家の名前がついているものも多い。
分岐に戻り、さらに進む。コオニユリやサワギキョウがよく見られる。尾瀬はクルマユリではなく、湿ったところを好むコオニユリのほうが見られるようだ。
朝霧は太陽が昇ると消えていったが、この先の湿原や山は分厚い雲の下だった。右手に見える燧ヶ岳と思われる高峰は青空にくっきり映えていた。雲がかかっているのは群馬県の方角のようだ。
尾瀬沼方面への道と別れ、燧ヶ岳への木道に入る。林間学校だろうか、中学生と思われる団体がやってくる。おそらく山小屋に泊まった人たちであろう登山者も多く木道を散歩していた。
湿原と別れ、燧ヶ岳への登りに入る。尾瀬沼の縁を歩くので湖面でも見えるかと思ったが、樹林帯に入ってしまったのと、折からの濃い霧で全く見えなかった。
針葉樹林下の静かな道が続く。ここから先は木道ではなく土の道に変わった。
この長英新道は、尾瀬の湿原帯から登る最短ルートではあるが、最初はなかなか高度を上げないので不思議である。樹林帯を30分以上歩きようやく「一合目」の標識を見て安心する。しかしそこから二合目の標識までも、いやに長かった。
それでもやっと山登りらしくなってきて、木の枝から見上げる空もずっと薄暗い雲の色ばかりだったが、高度を上げるにつれ眩しい太陽を見るようになった。やがて福島県側から澄み渡った青空が覗いてくる。
三合目を過ぎる。登るにつれ、傾斜はどんどん急になり、短い梯子の登りも出てくる。樹林の背が低くなり明るさが増す。四合目で樹林が少し切れ、雲海の先に日光方面の山並みが見えた。
この先五合目、六合目とどんどん高度を上げ、大きく眺めが開ける場所はないが次第に高山の雰囲気に満ち、木の枝越しに燧ケ岳も覗く。まだ山頂は高い。ヤマハハコ、マルバダケブキ、コガネギクが足元を彩り、さらに初秋の花オヤマリンドウもブルーの涼しげな姿を現し始めた。
岩がちになった斜面を登りきると、そこはミノブチ岳だった。ピークというよりは尾根の肩といった感じだが、展望は絶大である。
足元に分厚かった雲海も薄くなり、尾瀬沼が大きく見下ろせる。白根山、男体山、女峰山といった奥日光の高山が勢揃いし、振り返れば燧ヶ岳の俎嵓(まないたぐら)ピークがドカンと居座っていた。
その俎嵓目指し森林限界上の稜線を登っていくと、左手に燧ヶ岳の最高峰、柴安嵓も見えてきて、その頂を目指す登山者が急斜面に貼りついているのが見えた。
最後は岩の積み重なる斜面を登り、俎嵓に到着する。ミノブチ岳よりさらに高度感のある素晴らしい眺めが広がる。奥日光から続いて会津の峰々、やはり大きいのは会津駒である。
ただここは岩のピークであり、ゆっくり休憩するにはちょっと落ち着かない。隣りに大きくそびえる柴安嵓を目指すことにする。
いったん小さな湿原のある鞍部に下りすぐに登り返し。岩尾根は行き交う登山者で賑わい、通過待ちの時間も多くなった。
登りついた柴安嵓には燧ヶ岳の立派な山名標が立っていた。こちらも360度開けたピークで、尾瀬ヶ原や至仏山など群馬側の展望がすばらしい。さらに奥には尾瀬笠ヶ岳や武尊山、北の方角には平ヶ岳など会越の山も望むことができ、北関東から南会津にかけてのおなじみの山々がすべてつながった。
柴安嵓のほうは平坦な休憩適地が多く、俎嵓より居心地がいいのでやはりここで大休止である。今日は時間的にも余裕があるので、久しぶりにのんびりと眺めを楽しんでの滞頂となった。
俎嵓へ引き返す。登山者は引きも切らず、さすが夏の百名山は人で溢れている。
車のある御池方面へ下山する。ハイマツの尾根を下っていくと右側がガレた斜面に出て、会津方面の眺めが広がる。
やがて枯れ沢状のガレ場を数百メートルほど下ることになる。ここはけっこうな急斜面で浮石も多く、登る人にとっては胸突き八丁の部分だろう。
その枯れ沢を離れた後も幾度かガレた斜面に出るが、登山道は山腹道をへつるようにつけられている。登山ガイドでは、間違えてガレ場を下らない様にとの注意が書かれていた。燧ヶ岳で発生する道迷いによる遭難騒ぎは、このガレ場を下ってしまったケースが多いという。
夏や秋なら山腹の登山道の続きを見い出すのは容易だが、残雪期だと気づかずにガレ場を下ってしまいやすいのはわかる。
下っていくと突然、大きく開けた草原帯に出た。キンコウカが一面に咲き誇り、場所によっては黄色い絨毯のようになっている。平ヶ岳などの眺めがよい熊沢田代は、そのキンコウカやイワショウブの群落が圧巻で、綿毛のチングルマも多かった。
登山道はこの後、穏やかな木道になったかと思うと岩交じりのきつい下りが現れ、ぬかるみも多く気の抜けない道となった。
大杉岳を大きく仰ぐ広沢田代でほっと一息し、最後の下りに入る。この先も思いのほか厳しい下山路が続き、まるで前回の薬師沢から雲ノ平(北アルプス)への登路の再現かと思うようなところもあった。数年前の6月、この登路で残雪に苦闘し早々に登頂を諦めたのは、あながち弱気過ぎでもなかったように思う。
そんな歩きにくい道も終わりは来る。いつしか斜度を失い、歩くスピードが上がったと思うころ、尾瀬ヶ原からの木道と合流、そこからは実にあっけなく、2,3分で御池登山口の駐車場へたどり着く。駐車場には多くの車、休憩所付近にはたくさんの人で賑わっていた。
マイカー利用でこれだけ変化と見所のある登山ができたのも、久しぶりかもしれない。しかも朝一番から登り始めたので時間もまだ12時台。東京までの帰路は長いが、休憩所横の御池ロッジでゆっくり入浴していくことにした。
ロッジから出たら何と強い雨。行動中に降られなくてよかったが、登山中は終始青空が見られ、あまり雨を心配する天候でもなかったように思う。山の天気は本当にわからない。
檜枝岐まで国道を下っていくと、太陽と青空の下の暑い夏の日に戻っていた。来た道を延々と走り、那須塩原インターから高速で東京に戻る。