せっかくの平日休みだが、あまりいい天気ではなさそうだ。電車でいけるところで、なるだけ雨雲から遠いところに行くことにした。
ヤマツツジ咲く雪頭ヶ岳直下から、西湖を見下ろす
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中央線を大月駅で下り、久方ぶりに富士急行に乗る。この電車もようやくICカードが使えるようになった。駅も少しあか抜けたようだが、外国人向けなのか、車内には暖簾がかかっていて、日本風な感じを出そうとしている。
河口湖駅からのバスは、根場民宿を往復なら周遊パスの方が安上がりなのでそちらを利用する。
平日ということもあって、乗客はほとんど外国人だった。富士山が世界遺産に登録されて以降、この地には外国人がどっと押し寄せるようになった。そのため、バスの車内アナウンスは日本語・英語・中国語と続き、バスの運転手さんも英語で応対する。湖畔を歩く人も、二人に一人くらいは外国人だ。ここをビデオにとって見せると、日本とは思わない人も多いだろう。
富士五湖周辺は、日本一の富士山のお膝元の割には地味で、比較的静かな場所というイメージがあったのだが、あまりの雰囲気の変わりようにびっくりである。
根場民宿に着く。いやしの里入口バス停付近には食べ物屋やみやげ物店が出ていて、観光客で賑わっている。ここも外国人、特に中国などアジア系の人が多い。出店の従業員さんも活気あふれる中、元気だ。日本人という民族は、外国人といっしょにいると、性格が活発になる気がする。
今日はもちろん山に登りに来たので、正面に見える山稜目指して歩く。「鬼ヶ岳登山道入口」との標識のある登山口から、直線状に伸びる林道を辿る。ここは10年ぶりくらいだ。その時はたしかまだ建設中だった砂防ダムは完成し、林道は堰堤を左から回り込むようになっていた。緑濃い広葉樹の道は薄暗ささえ感じる。
堰堤脇の、「雪頭ヶ岳」と示された登山口から山に入っていく。沢筋を越え、手前に標識の立つ大きな石を見たあと、ジグザグの急登が続いた。そう、ここの登りはきつかったことを思い出した。雪頭ヶ岳の登山道は比較的新しく、傾斜のある山腹につけられた道が続き、カラマツ林の尾根に乗るころはすでにかなりの高度を稼いでいる。
一呼吸置いて、尾根の登りに入る。ブナが現れると周囲は明るさを増し、南面が開けた場所に立つと眼下の眺めがきき、西湖が見下ろせた。しかし空のほうは雲厚く、富士山の姿はない。今日は1日、富士見山行は期待薄である。
「絶景地」と言われる雪頭ヶ岳の山頂が近くなった気もするが、まだ登りは続く。いったん樹林帯に入るなどして、さらにジグザグの急登をこなしていくと、草むらにアヤメが現れた。
雪頭ヶ岳山頂は南面が大きく開けた地で開放的である。アヤメのほかニガナ、ノアザミ、カラマツソウなど少しずつだがお花畑が賑わい始めていた。ただ、3度目の雪頭ヶ岳登頂も富士山を目の当たりにできなかったのが残念である。
鬼ヶ岳へ、北の稜線を進む。ヤセ尾根が続き、王岳方面の視界がきく。なかなかアルペン的な眺めである。サラサドウダンの花が地面にたくさん落ちていて、絨毯のようになっていた。
岩場になり、鉄梯子を登りきると鬼ヶ岳の南峰で、足元にウスユキソウが開花していた。ウスユキソウを見ると、もう初夏の山という感じがする。御坂の山も季節がどんどん進んでいっているようだ。
鬼ヶ岳(北峰)でしばらく休憩する。強い風によりガスが巻き上がり、さっき越えた南峰が見えたり隠れたりしている。
標高を上げたのを差し引いても、さっきより空気が湿り、冷えてきたのを感じる。天気は下り坂で、遠くない時間に一雨来そうだ。歩くところは歩いて下山することにしよう。
鬼ヶ岳から西、鍵掛峠に向かう。ロープのかかった急坂を下るとすぐに穏やかな自然林の道になる。ところどころで岩棚に上がり、眺めが開けるのでこの行程は楽しい。鬼ヶ岳からはどちらかというと十二ヶ岳方面に向かう人が多いのだが、こちら鍵掛峠へのルートも捨てたものではない。しかし今日は、雲が依然として厚く富士山が見えないのが残念。
鍵掛峠からは、ブナなど広葉樹の豊かな尾根道を下っていく。途中で大きな岩壁の上にお地蔵さんが祭られていた。
どんどん下っていき、堰堤の横を通って植林の山腹の道となる。ここの木の1本1本には以前、白い防護筒がかぶさっていたのを見ていたが、今はほとんど倒れてしまっていた。整然とした植林帯も、年月を経て姿かたちもずいぶん変わってしまうものだ。
登山口に下り立ちしばらく林道を歩くと、急に人里のようになり、わらぶき屋根の集落に出た。集落とは言っても人が住んでいるわけではなく、昔の民家の佇まいを復元したいやしの里という観光施設である。民家の縁側に農作業姿の人影が見えたので。近づいてみたら人形だった。
ここ根場は昭和の時代、台風による山津波に集落ごと飲み込まれたという、悲しい歴史がある。平成に入り、市町村合併により富士河口湖町に編入されてから、町はこの集落を復元する事業を始め、今では富士五湖周辺の観光名所のひとつとなっている。
そんな古きよき時代の日本を見ようと、この日も多くの外国人が見学に来ていた。
いやしの里バス停から、周遊バスに乗るとついに雨が降ってきた。今日は文字通り梅雨の合い間を時間単位でぬっての山歩きになった。河口湖駅に戻ったときは大雨になった。
東京に帰るのに一番安上がりなのは高速バスである。平日なのでチケットは楽に取れると思ったら、最後の一枚だった。
バスの運転手さんは、ひと通りの注意事項を日本語でアナウンスしたあと、今度は実に流暢な中国語で説明し始めた。おそらく乗客に中国人が多数乗っていることを知ってのことだろう。
富士五湖周辺の田舎町がいつの間にか世界の仲間入りをしていて、どこか一抹の寂しさを覚えながら帰京する。