不動滝
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天子山塊の雄、毛無山は自分の登りたい山リストにずっと入っていたが、なかなか登る機会を得ないでいた。
富士山周辺の山としては富士山の次に標高が高く、林相や山の雰囲気、気象条件など御坂や他の富士周辺の山と同じ感覚で考えることは出来ない。
富士山の眺めが得られる天気のいい日に登りたいのはやまやまだが、それにこだわるあまり今まで延び延びになってしまった。また、高デッキから雨ガ岳への縦走路も歩いてみたいコースだ。
富士宮駅から快速バスで朝霧グリーンパーク入口へ。上空は厚い雲に覆われ、富士山にこんな近い所にいるのに富士山はない。反対側の毛無山塊もガスが濃く、上部の稜線は見えていない。少々重たい気分で登山口に向かう。
ミヤマスミレ
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毛無山頂上
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キャンプ場や麓(ふもと=この付近の地名)山の家を過ぎて、トイレのあるT字路へ。左折し農道を少し歩くと、麓登山口となる。
脇の駐車場には10台くらい停まっている。付近はひっそりとしているが、やはりそこそこに人気のある山のようだ。
杉林を抜けて沢沿いの林道に入り、その沢を渡ると地蔵峠コースを分け、樹林下の急登が始まる。
地蔵峠を経由しないこのコースは急傾斜の登りが続く。しかし道は安定していて樹林の雰囲気もよい。骨の折れる道ではあるが登りやすい。不動滝の見える場所で一休みする。
その後も急登は絶えることなく、露岩やロープも出てくる。滝見場からすぐのところで三合目の標識。以後、合目ごとに標識が現れる。1970年代の古い鉄製の案内板もある。
周りは緑鮮やかな落葉樹。トウゴクミツバツツジも随所に見られる。
7合目あたりに来ると緑も淡い色に転じ、頭上が何となく明るくなってくる。しかし青空はなく雲で真っ白。樹間から見える稜線にはガスが漂っている。
8合目を過ぎて富士山の展望台である岩棚へ。富士山どころか、ガスで周囲の山さえも見えない。
モミなどの針葉樹が現れてきて、ようやく稜線に出る。細かなアップダウンを経て、10分足らずで毛無山頂上に到着する。
新緑の道
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大名屋敷跡
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天気は悪いが頂上はにぎやか、15名ほどの登山者がいる。小広い頂上はゆっくり休憩できるが、残念なことに富士山や他の山の展望はガスに隠されている。
時々明るくなるので頭上のガスは薄いのであろうが、太陽は恥ずかしがってなかなか出てきてくれない。肌寒く、さすが1900mを越えているだけある。
富士山周辺の山には珍しく、深山の趣に満ちている。麓からの標高差が1000mを越えているだけに静かで、下界から遮断された場所、という雰囲気がする。
朝霧高原とは反対側の下部温泉に向けて下山する。今日は甲陽館に宿をとっている。
霧の似合う、静かな稜線歩きののちに急勾配の下りとなる。ミツバツツジが鮮やか。
ほどなく地蔵峠。ここで朝霧高原への道と別れ、西方の緩やかな尾根を下っていく。毛無山の稜線は静岡・山梨の県境にあり、登り出しの朝霧高原は静岡県、これから向かう下部温泉は山梨県だ。東京側から考えると、山梨県のほうが東側(東京に近い側)にあるような気がするのでちょっと不思議な感じである。
広河原に下る道は、金山跡や大名屋敷跡、女郎屋敷跡などがあるのだが、今は案内板があってそれとわかるだけである。下部町のこの付近には、ここ以外にも昔金鉱山として栄えた地域がいくつかあるようだ。
湯之奥の石畳
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標高を下げ、ようやく周囲の視界も効き始める。下部川の流れが聞こえ、広河原登山口に下り立つ。
釣り姿の人が林道の上部から下りてきた。場所をいろいろ変えて試しているとのこと。今の時期の下部川は、釣果も相当なもののようだ。
車道歩きは単調だが、山の斜面に猿の群れを見る。そして少し下ると湯之奥の集落に入る。ここには門西家という茅葺屋根の立派な家があって、国の重要文化財に指定されている。
湯之奥は山間に挟まれたのどかな山村で、民家の間を縫う石畳の坂道は、どこか懐かしさを感じさせる。
下部温泉
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さらに50分ほど車道を下り、ようやく下部温泉に着く。ここもどこか日本の古きよき時代を思い出させてくれる
、ほっとする場所だ。東京の隣の山梨県ではあるが、遠いところに旅に来たという感慨を持つ。
観光地として垢抜けた印象のある富士五湖周辺の山も、裏側に下ってみると、全く雰囲気の異なる静かな山村があった。その対比が面白い。
縦走でも往復登山でもない、山越え・峠越えという山行スタイルの醍醐味と思う。
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