谷川岳以来、3週間空けての山となった。
奥多摩というか青梅の山でひとつ登っておきたかったのが、今日の夕倉(ゆうぐら)山である。樹林の中の地味な山らしいが、名前に惹かれるのと、もうひとつ、近辺に青梅市最古と言われる馬頭観音碑があり、それはぜひ一度見てみたいと思った。
夕倉山からは、いわゆる「松浦本」に掲載されている永栗(えいぐり)ノ峰まで縦走するコースを歩くことにする。奥多摩入門の山、高水山よりさらに東に位置して標高も400m台と低い夕倉山だが、一般的な登山道があるわけではないので、それなりに歩きではありそうだ。
松ノ木峠の4体の石仏。右から2つ目の観音像が元禄11年作のもの
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東青梅駅から都営バスの上成木行きに乗る。他に数人、登山者が乗っていたがみな高水山へ登るのか。滝成で降りたのは自分ひとりだった。
バス停付近は静かな山間の集落。ウグイスの初鳴きを聞く。
今日の山は指導標がある山ではない。のっけから迷う。松浦本では30mで左折して小さな橋を渡る、とあるが、小さな橋はいくつかある。どれが正解だろうか。考えてもわからないので一番近いのを渡る。
やがて折り返すように半舗装の道を登り、深い草地に入る。その先で開けた畑地に出た。ここまでは本の通りだ。最初の橋の選択は正しかったようだ。しかしそれから先がまたわからない。左端のあぜ道のようなところを歩いて山に入っていくと書かれている。しかし山に入る踏み跡が見つからない。どこか取り付きやすそうな尾根筋でもないか、あたりを歩き回る。
自分と同じように迷っている人もいるようで、行きつ戻りつした足跡があちこちについていた。結局、すぐ西側の244mピークのすぐ東側を巻くように登ることにする。急斜面だがかすかに踏み跡のようなものもある。ただ印象では、踏み跡はもう一本東側の尾根筋にあると思っていた。
尾根の形状ははっきりとしないが、消え入るような薄い踏み跡をたどって高みを目指す。
思ったより早く稜線に上がった。杉林中の薄暗い場所である。稲詰峠というところに上がってきたはずだが、あまり峠の雰囲気がない。正面の杉の木に小さな木のプレートが引っかかっているものの、何と書かれているのか判読不能。
夕倉山へは右(西)方向だが、反対側の東の稜線に行ってみる。ちょっとしたきつい登りを経て着いたピークからは成木方面の眺めが開け、滝成方面からの道と、反対側には送電線巡視路の踏み跡が上がってきていた。
このときは、ここが稲詰峠だと思ったのだが、家に帰って調べるとやはり稜線を上がったところが峠だったようで、登ってきた道は正しかったみたいである。
その稲詰峠に戻り、夕倉山目指して西に進む。尾根上の踏み跡ははっきりしている。標識はないがテープが進む先を示している。
次のピークで尾根が2つに分かれるところは右を行く。携帯のGPSを最近使うようになり、こういう分岐の選択はほぼ間違えようがなくなった。地図読みして正解を導き出すという面白みがなくなってしまったが、単独で歩くことが多い自分には、リスクを減らす意味でも持つ必要があると思うようになった。
アシビの白花を時々見るようになる。よく手入れされた杉林を歩き、最後のひと登りで三角点のある夕倉山に立った。
四方を杉林に囲まれた、狭く薄暗い山頂だが、静かで落ち着いた場所だ。木にかかったビニールケースには山名とともに、「ノボリオイゾネ」とも書かれている。これはこの尾根の名称らしい。
腰を上げて先に進む。緩やかに下る道が続き、下った鞍部には茗荷峠との表示があった。杉の植林に囲まれ展望はないが、静かで山歩きが楽しいと感じる道である。下のほうで黒い動物が走っていく姿が見えた。カモシカだろう。こんなところで見られるとは思わなかった。
小さな起伏を越えていくと若干岩っぽい下りとなり、慎重に足を運ぶ。下り切ると古い滑車の残骸が放置されていた。ここにもビニールケースの標識があり「文化遺跡 旧石炭採掘場 廃棄された器材」と書かれている。文化遺跡は大げさで単なる残置物に過ぎないのではあるが、石炭が採れたとは意外である。
右手がやや開け、コナラなどの広葉樹も現れてきた。と思ったら再び岩がちの尾根になり、頭の位置にはツバキの紅い花がいくらか目立つようになった。標高の割には深山の趣のある尾根である。
次の381mピークには祠跡との表示があった。「(かすれて)文字がもう読めません。お判りの方よろしく」とあるが、すでに祠そのものが跡形もない。
送電線分岐の黄色い標柱にしたがい、鉄塔39号方向に向かう。このあたりは踏み跡もはっきりしている。そして4つの石仏が立ち並ぶ松ノ木峠に到着する。
それぞれの石像には天保、安政など異なった元号の文字があり、4体が同時に作られたものではないようだ。中でも一面六臂の馬頭観音像は元禄11年(1681年)作と青梅市最古である。
元禄大地震、安政の大獄、天保の改革・大飢饉と、日本の古代史を象徴するそれぞれの時代にまたがってこの石仏群は作られていたことになる。そういう意味でも貴重な石仏である。松ノ木峠も、地形的にも雰囲気的にも峠らしく、昔の旅人がここで休んでいった情景が浮かぶ。
鉄塔基部を過ぎると杉、檜の混合林となる。松ノ木トンネルの真上を過ぎ、やがて登り返しとなって標高は再び400mを越える。登りついたところは東西に細長い平坦地で、大指山の山頂だった。北側が雑木林で少しではあるが見通しがいい。腰を下ろして大休止とした。
西のほうから天候は持ち直し、歩く方向には常に青空が見えるようになる。大指山から下った伏木峠には小さな祠があり、横に「元祖」伏木峠と書かれていた。
付近は伐採地で日当たりがよく、春近しの空気を感じる。伏木峠からは、正面の大きな山の山腹を絡むように樹林下の道を行く。木の橋で沢身を越えたところに「沢を詰めれば高水山 上級者向け」と書かれていた。場所的にも、青梅の低山から奥多摩の山に移っている。踏み跡はすでに一般登山道といってよい。
視線を感じたのであたりを見渡すと、正面の木の陰からカモシカがこちらをじっと見つめていた。カモシカは人を恐がらない。お互いに30秒ほどその場で固まっていた。
それにしても、このような低い山で2度もカモシカに会うとは。
指導標の立つ分岐に来た。ここにも伏木峠の表示があったので、さっきの「元祖」の意味がわかった。軍畑駅への下山路を分けて、折り返すように高水山方面へ。本日一番の長い登りだが、すっきりとした杉・檜の尾根で歩きやすい。
思ったより早く林道なちゃぎり線に出る。この林道は高水山の常福院下まで伸びていいる。なちゃぎりの意味はやはり「なたで切る」だろうか。林道を少し右手に下りると、都心方面が望めた。
走っている人を時々見かける。この林道を使っての高水山トレイルラン大会に向けての練習だろう。
林道横断後尾根に上がる。高水山の手前のピークが今日の最高点、永栗ノ峰である。尾根通しで高度を上げ、永栗ノ峰の細長い山頂に登り着いた。
ここも樹林の中の山頂だが、明るい雰囲気があり高水山の稜線も見えている。夕倉山より200m以上も標高が高いせいか、風の涼しさを感じる。ところで「ゆうぐら」と「えいぐり」、語感が似ているのは偶然だろうか。
下山は松浦本にしたがって、いったん来た方向へ戻り林道に下りる。しかし進行方向にも林道に下りる道はあったようである。
さて、下りの尾根道入口はカーブミラーが目印となるそうだが、ミラーは近くに何本もあり入口探しに手間取る。
下山路も落ち着いた植林下の道だった。急なところもなく、トレイルランコースとして使われている所以だろう。登山道そのものはかなり整備が入っている感がある。今年のトレイルラン大会がもう20日後に迫っているせいか、この時間からも走り登ってくる人と何人もすれ違う。
見晴らし広場というところで、そのトレイルランコースに入ってしまう。すぐに気づいて戻ったが、これを下って榎峠に下山しても面白かったかもしれない。しかし今日の予定はこのまま尾根通しに行って軍畑駅がゴールである。
一部急坂もあったが、早いうちに車道が見えてきた。民家の脇を通らせてもらい、高水山から来る車道に下り立つ。
あとは軍畑駅まで歩くのみである。麓の集落は青空の下暖かい大気に満ちていて、もう春が来るのを待つばかりの雰囲気になっていた。平溝川の渓流釣りが解禁になったようで、多くの釣り人が糸を垂らしている。
今年初めてのスミレを見つけながらのんびり車道を歩き、軍畑駅に着く。 久しぶりの奥多摩で駅周辺でゆっくりしたい気もあったのだが、ちょうど電車がやってきていたので、反射的に乗ってしまった。