緊急事態が明け、登山自粛が解除されても、思ったほど山には人が戻っていない。まだ自粛をしている人が多いのだ。自粛というより、「委縮」しているようにも見える。
今回の外出自粛、登山自粛を経験しわかったことがある。自然を相手にする登山も所詮は、社会活動の一環だということだ。家を出て電車に乗り、住んだこともない町を歩いて登山口に向かう。下山したら温泉とかお店に寄り道し、何か買って帰る。
登山も結局のところ、社会経済が動いていることを前提にして初めて成り立つ活動に過ぎないのだ。しかも今回のように、外部から「登山は自粛してくれ」と言われたら従うことになる。簡単に足を止められてしまうのである。
緑の稜線を鷹ノ巣山へ向かう [拡大 ]
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天気予報が今一つだが、鷹ノ巣山に登る。稜線のヤマツツジもそろそろいいかもしれない。
前週三頭山へ、奥多摩の山では珍しく車で行ったのだが、それに味をしめて今回もマイカー山行となった。
いつもの峰谷バス停からの歩きをカットして、奥登山口少し下の駐車スペースに車を置く。峰谷からここまで、車道はクネクネの連続で結構な距離がある。いつも歩くショートカットは登りがきついが、ずいぶんと近道を通っていることがわかった。
霧雨模様の中、出発する。天候は回復方向なので大丈夫だろう。急坂を上って浅間神社の鳥居をくぐる。ここで標高1000mくらい。山頂まで800m前後の標高差は先週の三頭山と数字上は近い。今回の鷹ノ巣山も、いつものように峰谷から歩き始めるとそれに350m近く加算されるので、やはり車の力は大きい。しかし例年の体力には全く戻っておらず、これでも相当きつそうだ。
スギやヒノキの人工林の急坂を上りきると、浅間尾根の緩い登りが続く。
落葉樹が豊かな道だが、数年前から道沿いにしいたけのほだ場が作られた。そしてそれは年を追うごとに面積を広げているようで、両側から網柵に囲われた登山道はどんどん狭くなっている。奥多摩町の林業の現場を垣間見ることができて貴重だが、ここまで広がると伸びやかな浅間尾根道の魅力が薄れてしまう。
ところでこのほだ場の原木は見たところ、やはりコナラのようである。シイタケはコナラやクヌギで栽培するのが一般的なのだが、浅間尾根はミズナラ、ブナ、ツツジ、アシビなどの樹木が主でコナラは見かけない。尾根の下部にはコナラが生育していて、そこから運び上げているのだろうか。これだけの量の原木を運び上げるのは大変だろう。
シイタケのほだ場は、周辺にある木を使用するばかりではないようだ。
周囲は霧や雲が厚く、樹林の外は真っ白である。しかし黙々と登っていくと、頭上がやや明るくなり、自分の影が登山道に映るようになっていた。稜線に上がるころには晴れ間も覗いてくれるだろうか。
ヤマツツジが点在する中、水場を経て鷹ノ巣避難小屋に到着する。
空模様はまだどんよりなので、ここは鷹ノ巣山に登頂する前に少し石尾根を歩いてみる。日陰名栗峰へは尾根道側を進む。所々で倒木があったが、思ったほど荒れてはいない。
緑の防火帯を緩やかに登っていく。霧が深く奥多摩湖などの眺めはない。草に隠れてスミレが何種類か、昨日の雨でぬれそぼりながらも見られた。紫はスミレ、白はシロスミレだろうか。小さなツボスミレもあちこちに咲いている。
日陰名栗峰を過ぎて下りに転じるとついに日が差してきた。見上げる高丸山山頂は青空の下となっている。どうやら西の方は晴れている模様。この日陰名栗峰が天気の境界線になっていた。
灌木のヤマツツジが花数は少ないながらも稜線を彩っている。トウゴクミツバツツジは今年、見ごろを逃してしまった。
青空が広がり気温が上がると、石尾根の森林はにわかにハルゼミの鳴き声で賑やかになる。そういえば霧の浅間尾根はまったくセミの声はしなかった。昆虫などの変温動物は気温が高くなれば活動が高まり、下がれば動きが鈍くなる。
ここからあたりを見渡しても、日の差している斜面はセミが鳴いており、暗い部分は音がしない。はっきり分かれていて面白い。
鞍部から巻き道に入ろうとしたら、昨年の台風19号以降の通行止めがまだ続いていた。高丸山に登り返して千本ツツジに行く気はおきず、ここで引き返すことにした。
鷹ノ巣避難小屋に戻ると、登山者がある程度行き交っていた。しかし今の時期にしてはまだ寂しい限り。それでも青空が見えてきたのを励みに、鷹ノ巣山への稜線を登っていく。
2度の急登を経て山頂直下へ。振り返ると長沢背稜と雲取山が何とか雲を割って見えていた。南側の奥多摩湖や三頭山、富士山方面は相変わらず真っ白。
直下の稜線上になかなか立派なブナが伸びている。雌花が受粉して大きく膨らんでいた。鷹ノ巣山山頂に着く。南の眺めは全くないが、雲が流れて東側の水根山方面も時折見えるようになった。
1700mもの高い所に登ったのは久しぶり、やはり空気が違う。地べたに腰を下ろして足を伸ばすと、何か今までつっかえていたものが解き放たれた気がした。
車なので帰りのバス時間を気にすることもない。東の斜面を下り、水根山くらいまで行くことにした。こちらの稜線沿いのブナも膨らんだ雌花をいっぱいつけている。石尾根の今年のブナは意外と開花・結実が盛んなのかもしれない。
巻き道から避難小屋を経て、再び浅間尾根の下りとなる。空模様はまたしても白くなってしまった。
日の差さない午後の浅間尾根はまるで夕方のようだ。気温も下がりセミの鳴き声がない、静まり返った中を歩く。夏を迎える山なら、やはりハルゼミの声渡る賑やかな山の中を歩きたい。それはまた次の機会の楽しみとする。
登山することは勝手、自粛をすることも勝手である。しかし世の自粛期間が終わり、経済が動き出した今は、登山者はやはり行動を再開すべきではないか。
やみくもに不安だからといって今までの行動を取り戻さなければ、それは山里の町や村の観光にじわじわと打撃を与えていく。登山者の存在は、山の町や村に活気を与え、経済面で支えている側面もあるのだ。
不安なら、その不安を断ち切るためにどうするのか、登山者は自ら考えてもらいたい。山岳団体の出した登山自粛要請を受け、登山家の野口健氏は自身のツイッターに「登山者は待つ力がある」とコメントした。それなら同時に「登山者は自ら考え行動する力もある」はず。
今までお世話になってきた山里の町や人たちを思い出し、過去の活動を取り戻してもらいたい。