今年がもう、終わろうとしている。年間を通して、満足に登山ができなかった1年となった。まあ、誰でも今年はそうだと思う。
コロナ禍というのもあるが、自分の場合は加齢で以前のようにスムーズに体が動かなくなってきた影響が大きい。また、10月に父を亡くすなど、公私様々な面で人生に変調をきたした1年であった。
前向きなこともある。森林インストラクターの試験に合格したことだ。森林関係の仕事をしているわけでもなく、数年前まで樹林のじゅの字も知らなかったのに、登山が好き、ブナが好きというだけで合格させてもらえた。
連行峰-醍醐丸間の尾根道から富士山の眺望 [拡大 ]
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五日市街道、下元郷の和田向駐車場に車を停める。あたりはまだ薄暗い。20分ほどでやってきたバスに乗り、少し先の柏木野から歩き始めることにする。
東京都で1日のコロナ感染者が1000人に迫り、もはやいつどこで感染しても不思議ではない雰囲気になってきた。とにかく、普段会わない人には会わないこと。静かに暮らすこと。これが予防の最強手段になっていることが恐ろしい。
山も自粛しなければと思っているのだが、この秋はずっと歩けなかったせいか、今はなかなか諦めが悪くなっている。しかし自分や周りの人のためにも、そろそろ巣籠り生活の再開が避けられなくなっている。
今日は思う存分歩いておきたい。低い山だが長い距離の縦走コースである。
柏木野バス停から、民家脇の細道を下りて川を渡る。稜線までは杉林の中の登りである。最初と、最後の稜線手前が急登で、その間はゆるい傾斜の部分も多い。
薄暗い斜面は倒木だらけ。木の横についた迂回する踏み跡も太くなっており、こうなってからかなり長い時間が経っているようだ。登山道で、処理されていない倒木を見るのは以前よりずっと増えた。
40分ほどかけてようやく、風の通る稜線に出た。片側が落葉樹となり少し明るくなる。万六ノ頭を巻き、緩やかに高度を上げていく尾根道は、ほとんどが杉林と落葉樹林で挟まれている。オール人工林よりは変化があっていいのかもしれないが、何となく物足りなさを感じる。道は歩きやすい。
湯場ノ頭で方向が南西側に向く。この辺りは背の高い笹に覆われていたが、やはりずいぶんと枯れてきた。笹枯れは進行している反面、樹林の丈は伸びている。どこか展望のいい場所があった記憶があるが、相模湾は木の枝の向こうの眺めになってしまっていた。
下の方から林道が上がってきた。尾根道と近い高さになりそうなところで、連行峰への急登に転じる。山が深くなってきたのか、コナラやホオノキが増えてきた。ホオノキは丘陵のような標高の低い所にも生えているが、これがを見ると山に登ってきたという実感がわく。
連行峰には4つのベンチがある。南面は落葉樹で、富士山など木の間からの眺めもある程度きくのだが、意外と寒い。ベンチに座っていて震えがくる。フリーズドライの甘酒を飲んでから、先を行く。
尾根道を東へ、緩い下りとなる。南面は樹林がまだらになる部分も出てきて、そのたびに富士山の見え方を確認する。だんだんと木の枝がじゃまにならなくなってきた。
そして大きく眺めの広がる平尾根に出る。富士山ほか丹沢・中央線沿線の山々、藤野や上野原方面の町並みなどパノラマだ。そして西のほうには南アルプスの赤石、悪沢岳もよく見えた。思ってもみなかった好展望にありつけ、得した気分である。
トレランのグループがやってきた。顔を向けることなく挨拶する。日差しが暖かく、気温の低さをいっとき忘れさせてくれる。日だまりハイキングとはこういうのを言うのだろう。
やや岩っぽい道に変わり、山の神に到達。鎌沢への下山路が分岐している。さらに進んで和田峠への分岐点。巻き道になっているがここは尾根筋のほうを登る。比較的大きなコブを越えるが、再び下りてしまい、さっきの巻き道と合流する。ここは巻き道を歩いた方がよかったようだ。
アップダウンが激しくなり、ひと汗かかされたところで醍醐丸に到着する。山頂とも言えないような場所で、しかも南面が人工林なので寒い。以前は北側に大岳山の眺めがあったのだが、樹林が伸びてほとんど見えなくなっていた。
山頂には八王子市の標柱が立っている。今日登る山はみな檜原村の山だと思ったが、ここだけ八王子市と接している。なお醍醐丸は八王子市の最高峰である。
急坂を下る。醍醐峠への分岐はよくわからなかった。傾斜が緩んでしばらくは、落葉樹林の多い幅広の尾根歩きとなる。某団体による734mの独標があった。場所によっては落ち葉が深く、サクサクと踏みしめていく。
再び左手に林道が現れる。未舗装で道幅もけっこうある。10年ほど前に歩いた時にも見ているのだが、国土地理院の地図にも登山地図にも道の表示はないので、単なる林業作業道なのだろうか。
市道山へは岩や木の根の張り出した急登となる。振り返ると連行峰の山体が立派だ。関場への分岐を過ぎ、さらにきつい登りが続く。いったん市道山西側のトラバース道に入るが、道は細く神経を使うところもある。ここまでの穏やかな道とうって変わって、にわかに険しさが増した感じがする。
南関東の山地は、東西方向の尾根道は穏やかなところが多い反面、南北に伸びる稜線は地形的な影響なのか、褶曲していて登山道は難路が多い気がする。
刈寄山からの道と合流し、やれやれと感じる。
市道山山頂。都心方面の木が伐られ、眺めが広がっているが、一時に比べるとここも樹林が伸びて見にくくなってきた。
今日はここまでとし、笹平に下ってバスで戻ろうと決めた。しかし、山頂に「笹平への登山道は橋が崩落し通行止め」の表示を見て愕然とする。今回も全く下調べをしていなかった。
こうなったら臼杵山を越えて元郷下山しかない。市道山-臼杵山間は150m下って200m登り返すという、標高800mそこそこの山にしては骨の折れるコースとなっている。
市道山も、ここまできつい思いをして登り着いたにしては、狭くてがっかりする山頂である。植林も多いので敬遠しがちなのだが、なぜか惹かれるところがある。
昔、檜原村の住民は、交易のためここを越えて五日「市」へ出かけていったという歴史がある。山と人とのかかわりに思いをはせることのできる山である。
とにかく、ここからさらに臼杵山に登ることになる。臼杵山方向から来たことはあるが、こちらから歩くのは初めてだ。
下っていくとやがて落っこちるような急坂とる。630mまで下ってしまい、ここから怒涛の直登が続く。周囲はオール植林で見通しはないので、登ること以外にすることはない。いくつものコブを越えては大きく下る。
高萱入口と書かれた場所はおそらく749m点。ようやく標高差100mを取り戻した。右手に尾根らしきものが下りている。このあたりから、コブを越えるたびに前方に臼杵山の端正な形が見られるようになってくる。が、コブの後には決まって大きな下りが待っており、そのたびにがっかりする。
そのうち、そんな下りもなくなって長い急登となる。山頂が近くなる。
指導標が見えてきて、臼杵山南峰に到達。ここも広い眺めはないが都心方面が開かれ、広さもそこそこあるのでゆっくりできる。
風が頬を撫で、心地よい。背もたれ付きの丸太の椅子に腰を下ろす。
祠のある北峰は、以前は富士山が望めたのだが、ここも木が伸びて、見えづらくなった。
元郷への下山路に入る。何度か歩いた気になっていたが、初めてである。上部は見晴らしがきき、枝越しながら富士山もきれいに見える。
アンテナ施設では周囲が大きく切り開かれ、大岳山から伸びる馬頭刈尾根が余すところなく見渡せた。建物の前には「撮影禁止」の表示がある。何か保安上の問題でもあるのだろうか。中からラジオの音が聞こえたので、誰かいたようである。
以後、緩急織り交ぜながらひたすら下っていく。だいぶ日も低くなってきた。出発する時間が1時間遅かったら、日没を気にして焦って下っていたかもしれない。
尾根を外れ、堰堤を見やるとようやく民家が見えてきた。元郷バス停から車道を東へ。車を停めていた和田向駐車場まで10分ほど。もう冬だからかもしれないが、周囲に観光客はほとんどおらず、寂しい雰囲気だ。
長い1日山行を、最後は気持ちの良い疲れで終えることができた。年末休みがあるが、今年の山はおそらくこれで終わりだろう。
来年はぜひとも感染が収束して、各地の山に気がねなく出かけられるような日常が戻ってきてほしいものである。