鷹ノ巣山の北方に位置する秘峰・八丁山を、最初に一般登山ガイドで紹介したのはかもがわ出版の「奥多摩山歩き一周トレール」だった。それには、当時から廃道に近かった巳ノ戸林道を登り、鞘口ノクビレからお伊勢山を経て八丁山、の難ルートが載っていた。
出版から10年以上が経過する間、巳ノ戸林道はますます崩壊が進んだようで、登山でこのルートを使うのは現実的でなくなった。今は巳ノ戸尾根から直接取り付くのが一般的のようである。
一周トレールから知っていたこの山は、奥多摩に18年目の自分はまだ未踏だった。今回、充分に下調べをして挑戦することにした。
八丁山直下の岩場から望む鷹ノ巣山は、端正な三角錐
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稲村岩を見ながら鷹ノ巣山登山口に入っていく。電柱の右に見えるのが八丁山
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鷹ノ巣山登山口 |
巳ノ戸尾根へは、指導標の立つ分岐を右上に登っていく
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ここを右へ |
釜などが捨てられている集落跡。巳ノ戸尾根はこの後ろの石垣の上についた踏み跡を辿る
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集落跡 |
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巳ノ戸尾根 |
八丁山直下の岩場。高度感はあるがホールド多くそれほど難儀ではない
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岩場 |
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八丁山 |
八丁山から先は細かなアップダウンのあるヤセ尾根が続く
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ヤセ尾根続く |
八丁山~お伊勢山間は随所で展望が開ける。右:天祖山、左:雲取山
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展望よい |
八丁山~お伊勢山間の稜線より石尾根の山を望む。左:日影名栗峰、中央:高丸山
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石尾根が伸びやか |
お伊勢山はいくつも立ち並ぶ小ピークのひとつなので、うっかりすると気づかず通り過ぎてしまいそう
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お伊勢山 |
お伊勢山から下った鞍部の鞘口ノクビレ。手前にあるのは遭難碑。巳ノ戸林道が乗っ越しているが、道形ははっきりしない
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鞘口ノクビレ |
鞘口ノクビレには巳ノ戸林道の標識が寂しく立っている。巳ノ戸の大クビレに至る方向は通行止めになっている
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人知れず |
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新緑鮮やか |
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ここに合流 |
鷹ノ巣山山頂から、新緑の石尾根の延長線に御前山・大岳山を望む
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鷹ノ巣山山頂から |
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満員の東日原行きバスを終点で降り、稲村岩を見ながら巳ノ戸川沿いに下りる。すぐに植林下の急登となるがここまではいつもの鷹ノ巣山に登る時と一緒だ。
八丁山へは右に伸びる踏み跡をさらに登っていく。足触りは少し柔らかくなるが、まだ一般道と変わらない。フタリシズカが早くも見られるようになった。いったん平坦地に上がったところは集落跡で、古い釜が捨てられていた。ここも昔は人が住んでいたのである。
右に分かれる踏み跡には入らずそのまま草深い中を直進する。生垣の上に上がり、やがて踏み跡は判然としなくなったが、目的の尾根は目の前に横たわっており、そのまま緩斜面を這い上がった。巳ノ戸尾根は意外と簡単に取り付くことができ、一安心。
尾根はなだらかで、色の濃くなった広葉樹の緑の衣を豊かにまとっている。左手下に少し開けた草地を見た。
ひとり、尾根を歩く人がいる。「八丁山ですよね?」と聞いてきた。もしかして私が間違って鷹ノ巣山に登るつもりが間違ってこっちに来てしまったのでは、と思い、確認のため声をかけてくれたのかな。一方右側には鹿除けのフェンスが出てきた。そのフェンスもついえると、ブナやミズナラの広葉樹が多くなる。緑に染まってしまいそうな森だ。ただ左右の確認の樹林の切れ間からはけっこう周りの山の稜線が見える。
やがて傾斜は増し、かなりきつい登りが続く。少し岩っぽくなってきたところで立ち休憩とする。この先に岩場が始まるのがわかっていた。
頭上がにわかに明るくなり、ザクザクの岩が現れる。稲村岩尾根や長沢背稜が鮮やかな新緑色を見せていた。足の置き場には困らない岩場だが、高度感はそれなりにある。進む先には端正な三角錐の緑の山。こんなきれいな形の鷹ノ巣山を見られるのは、ここ巳ノ戸尾根ならではかもしれない。
岩場をどんどん登っていく。一般ルートではないので鎖やロープなどはついていないが、全く難しくはない。眺めがよい岩場はすぐに終わってしまい、元の鬱蒼とした樹林帯に戻った。
巳ノ戸尾根は取り付きがわかりにくいとか、岩場が難所だとか、事前にはずいぶん脅かされていたが、どちらも肩透かし気味であった。バリエーションルートの中でも初級の部類に入るであろう。緩やかにひと登りすると、八丁山の山頂部にたどりついた。
樹林の中で眺めはないが、やはり感慨深い。20世紀の末から奥多摩の山に登り始めて、今ようやくこの秘峰に登頂することができた。木にかかっている渋い山名板も、「一周トレール」に載っていた写真そのものだった。
もう一人の人が先に登頂していた。「眺めのいい所で休憩したほうがよかったですね」と言う。たしかにそうだが、この滋味あふれる山頂の雰囲気もいいものである。
標識などはないので、コンパスを使って南南西方向の尾根を下っていく。すぐにコル状の平坦地に下り、そのあとは細かなアップダウンのヤセ尾根が続くようになった。
踏み跡は相変わらず薄いが一本道なので迷うことはない。それどころか、この尾根道はコブに上がるたびに展望が開け、石尾根や長沢背稜の山々が忽然と現れる。天祖山や雲取山、タワ尾根方面が意外な角度から見え、興味深い。鷹ノ巣山も含めた石尾根の山は不思議と、周囲からなかなかその姿を確認することができないので、ここからの眺めは貴重だ。
岩っぽい上に(コメツガだと思うが)マツ科の針葉樹林が多く、タワ尾根のウトウノ頭より北側の尾根道と雰囲気が似ている。奥多摩の山はこういった、標高1500mくらいの南北に伸びる北斜面はこういうパターンが多く見受けられる一方で、隣りの稲村岩尾根とは植生を全く異にするのが面白い。
何個目かのコブの上には一本の大木があり、その根元にお伊勢山の山名板が置かれていた。気づかず通り過ぎてしまわないでよかった。
その先の鞍部が鞘口ノクビレだった。巳ノ戸林道が乗っ越していて、遭難碑が置かれた不思議な雰囲気のところである。巳ノ戸林道はこの先、巳ノ戸の大クビレ(鷹ノ巣避難小屋から石尾根を少し下ったところ)に通じているのだが、崩壊により通行禁止となっている。
またここには「日原-鷹ノ巣山」を示す指導標が立っていて、これはこのコースで見られる唯一の標識である。しかもいま自分が歩いているルートとは何の関係もない方向を示しているので、興味はつきない。
鞘口のクビレから、さらに尾根通しに進む。高度を上げていくとブナやカエデが多くなり、トウゴクミツバツツジもそこかしこで濃紫の花をつけていた。
枯れたスズタケも現れ、伸びやかな尾根道になったと思ったのも束の間、目の前に大きな壁が立ちはだかる。この登りはきつい。15分ほどこらえてひたすら上を目指し、ヒルメシクイノタワに到達。稲村岩尾根との合流点である。八丁山を巡る尾根歩きはここで終了、以降はいつもと同じ、鷹ノ巣山登山となる。
それにしても、ヒルメシクイノタワに別の登山ルートが合流しているとは、今回のルートを調べる以前は全く想定外だった。
小休憩後、鷹ノ巣山までひと登りする。やはり一般登山道は歩きやすい。登山者の数もぐっと増えて、前後に人を見ながら急坂を登っていく。
このあたりもスズタケが枯れて、全体的に見通しがよくなっている。稲村岩尾根からの鷹ノ巣山登山の時は、最後にスズタケの暗い道から一気に展望が広がるのが面白かったが、今は最初から明るい道なのであまり感動がなくなった。
鷹ノ巣山山頂に着く。富士山は雲の中だが、その他は好展望である。浅間尾根、榧ノ木尾根もすっかり新緑になっている。大菩薩嶺、雁ヶ腹摺山、丹沢、奥多摩三山などよく見え、さらに南アルプスの雪山もおぼろげながら空に浮かんでいた。登山者も大勢いて、久しぶりに賑わいの山に登った感じだ。
今日は榧ノ木尾根で下山する。鷹ノ巣山東面を下り幅広の防火帯を歩く部分は、新緑が青空に映えて爽快である。石尾根稜線のツツジはまだ早いが、きれいな赤紫色の花を咲かせた潅木もあった。
榧ノ木尾根分岐で石尾根稜線と分かれ、直下の巻き道に入る。背の高さほどもあったスズタケは完全に枯れて、軒並み斜面に横倒しになっていた。長い生育サイクルを持つ植物の終末期はこんな姿になってしまうのか、切なくも貴重な自然の現場である。
ヒノキの植林に入り、水根沢林道からのルートを分け、尾根伝いに下って行くとふたたびミズナラなど自然林豊かな森の道となる。
トウゴクミツバツツジが点々と咲き続く中、踏み跡を辿って榧ノ木山山頂に立ち寄った。狭くて樹林に囲まれていて、尾根の名前となっている山にしては地味だ。奥多摩の尾根の名前の山はヨコスズ山、長沢山などそれ単独で登山の対象にはなりえない、目立たない山が多い。
緑濃くなった中をゆるゆると下り、少しばかりの登り返しを経て倉戸山山頂に着く。休憩ののち、今日は久しぶりに女ノ湯(めのゆ)に下山することにした。倉戸口コースと距離はそう変わらず、急坂が続くことも一緒である。
はじめのうちは榧ノ木尾根を引き継いだ伸びやかな下りだが、すぐに足元の悪い急な下りとなる。何本にも幹分かれした立派なミズナラが道の真ん中に立っていた。
樹間から奥多摩湖が見えてきてもうそろそろと思う頃、尾根を外れて下山する近道を見逃し、東に伸びる尾根通しに入ってしまった。少々遠回りになってしまったが、女の湯トンネルを乗っ越して奥多摩湖の入り江近くまで下り切るとバス停を示す指導標があったので、この道でもよかったようである。
すぐに女の湯バス停に到着。バスもすぐ来た。
今日はバリエーションルートを交えての奥多摩の濃い部分を歩けて、大変充実した1日だった。日足も伸び、まだ明るいうちに奥多摩駅を後にする。