奥武蔵の山地で、関東平野と接するあたりはまだ歩いていないので、史跡や名所をいくつか結んで歩く。メインは黒山三滝、関八州(かんはっしゅう)見晴台、そして城山である。
城山(大築山)城址跡
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城山は大築山(おおずくやま)とも呼ばれ、戦国時代に城が構えられた標高466mの低山である。あまり知られた山ではないが、アルペンガイドには「奥武蔵では珍しくヤブの深い、道のわかりにくい山」と紹介されており、いつかは登りたいと思っていた。しかし、この山だけ登るのは時間をもてあましそうで、今までなかなか登る順番が回ってこなかった。
今回、関八州見晴台と城山をつなげるプランを考えてみたが、植林の多い奥武蔵の山歩きの中でも変化に富み、展望のいい場所もあるので、1日かけて歩くコースとしてはなかなかの掘り出し物であった。
越生(おごせ)駅をアプローチとして使うのは初めて。川越観光バスに乗る。
下山予定の麦原入口を通過し、終点の黒山まで行く。黒山は鉱泉が沸いているということで、もう少し開けた場所かと思っていたが、朝早いせいもあろうが静かで閑散としていた。
突き当りで右の道に入る。黒山鉱泉館の横を通って緩やかに登っていくと、左に天狗滝への遊歩道を見る。さらにその先、みやげ物屋の奥にあるのが黒山三滝の男滝、女滝である。大きな派手な滝ではない。ぴんと張り詰めた冬の大気の中、2本の流れが寄り添うように、静かに岩を伝って落ちていた。
先ほどのみやげ物屋の脇から登山道が始まる。三滝のもう1本の天狗滝は、少し登ったところのあずまやからゴルジュが何とか見える程度だ。せっかく来たので滝の見えるところまで遊歩道を下りる。
登山道に戻り少し進むと、その天狗滝の上部の沢に沿って歩くようになる。やがて道は二手に分かれる。右はそのまま傘杉峠へ直接登るコース。左の役ノ行者像を経由するコースを行く。こちらのほうは尾根筋なので歩きやすいだろう。杉林の中の登りはけっこうな傾斜が続き、一箇所ロープのかかった岩場もあるがよく踏まれた道である。
方向を右手に変え、直線状の尾根を登っていくとようやく斜度が緩み、役ノ行者像のある大平山に出る。黒山三滝一帯は山岳密教の道場として開かれた場所で、その始祖である役ノ行者がここに奉られている。大平山の山頂部は立入禁止になっていた。
何か白い粉のようなものが舞っている。空が青空なのでまさかと思っていたが、やはり雪のようだ。強い北風に乗って雪雲がやって来て、ハラハラと小雪が落ちてきていた。今日はこの冬一番の強烈な寒気が北日本中心に下りてきている。天気がいいはずの東日本も、山間では時雨れることが多い。
いくぶん眺めのいい開けた場所を通過するが、ふたたび植林の中の薄暗い道。顔振峠からの道と合流すると、傘杉峠へは大きくUターンするように方向が変わる。地形が複雑だが、冷たい風の吹いてくる方角が北~北西だろう。
近いところで人の声が聞こえるようになる。小さなピークを経て、車道(奥武蔵グリーンライン)に降りたところが傘杉峠だった。
今日の2つめの目的地、関八州見晴台へはこのグリーンラインを歩いていってしまってもいい。しかしやはり道沿いにつけられた登山道を歩く。
登山道は小さなアップダウンが続く。何もわざわざきついところを歩かなくても、という思いが心の中をよぎるが、やはり登山道のほうが変化があって、意外性があるからいいのだ。この先を曲がると眺めがよくなったり、動物を見たり、気持ちいい自然林の道になったりするかもしれない。そのような期待感を持ち続けながら歩いている。
登山道と車道を出たり入ったり、車道のほうはひどく凍結している場所がある。たまに車が通るが、あまりスピードを出すのはやめたほうがいいだろう。花立松ノ峠は知らぬうちに通り過ぎてしまった。徐々に高度を上げていくと自然林となり、そのすぐ先が待望の関八州見晴台である。
猿岩峠へ向かう梅本林道には、随所にクラシカルな指導標が立つ
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素朴な導標 |
城山直下の展望台からは、椚平集落が一望の下に見渡せる
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椚平部落一望見晴台 |
城山直下の展望台から、大平尾根をバックに547m峰が形よい
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547m峰が形よい |
城山山頂からは北面のみわずかに開ける。遠望が利けば赤城や奥日光の山が眺められそう
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北面が開ける |
城山(大築山)から道なりに進むと小築山に達する。こちらの山頂には落葉樹が茂っている
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小築山 |
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明るい山村 |
麦原集落には標語のようなものが書かれた標柱があちこちに立っていた
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キラキラきれい |
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最初の春の花 |
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安房、上野、下野、相模、武蔵、上総、下総、常陸の関東八州全てが見渡せるという意味の名前に偽りはなく、パノラマ展望が得られる。今までがほとんど薄暗い植林の中ばかりだったので、よけい眺めが広く感じる。
やはり目を惹くのが武甲山~大持山の奥武蔵南部の山並みである。武甲山は採掘で切り取られた斜面があらわだ。蕎麦粒山、川苔山などの奥多摩北部、大岳山、御前山もくっきりと見える、御前山の後には霊峰富士が大きい。
東京都心のビル群や関東平野も広く見渡せる。位置的にここからスカイツリーの見える確率は高いだろう。しかし今日はもやもやしていてどこにあるかわからない。今日は全体的に雲が多く、すっきりとした眺めの得られる日ではなかった。
高山不動の奥ノ院であるらしく、山頂には社がある。ここから先、その高山不動を経て西武線西吾野駅に下るコースもあるが、今日はさらに稜線を行く。
見晴台を後にすると、民家のような建物が何軒かあった。まさか人が住んでいるとは思えないが、シーズンには売店でも開かれるのだろうか。車道に下りると雪がびっしりついて、凍結していた。ここからしばらくは主に車道を歩くことになるので、うっかりアイスバーンに乗っからないように注意が必要である。
飯盛峠に着く。ガードレール越しに右手の大平尾根に取り付く場所があったかもしれないが、気づかず通り過ぎていたようだ。峠を示す大きな標柱の横から、同じ方向、林道が下りているので、とりあえずそれを下ってみる。やがて林道から大平尾根に合流することが出来た。
この大平尾根を下っていくと麦原に直接下りれる。カンアオイの多く見られる尾根とのことらしいが、今日はここを歩き通さずに、途中の分岐に入り北上する。今日最後の目的地、城山(大築山)へ向かう。
「猿岩峠」を示す小さな指導標に従い、踏み跡の薄い道をたどる。すぐに急斜面の下降となるが、道が細い上に雪が凍結気味に残っている。いつもののんびりした奥武蔵の山歩きは、ここでいったん終了のようだ。アイゼンを着けストックを取り出し、気持ちを新たにして下る。
凍った路面はいやらしいが、下るにつれて雪は減ってきた。急斜面がついえるとまたもとの歩きやすい道に変わった。アイゼンを着けた歩きはものの10分ほどで終わった。
もう一度急下降をこなすと道幅は広がり、登山道というより峠道の風情となる。「城山→」と示す黄色いビニールテープが目印となる。薄暗い植林帯に入ると一層わかりやすい1本道となった。
道は左手の547mピークを大きく巻くように、一段下に付けられている。大平尾根と猿岩峠を結ぶこの道は梅本林道と呼ぶらしい。
随所に立つ指導標は、登山道でみかけるような洗練されたものではなく、昔からあるような手書きのものばかりだ。「馬場」とか「硯水」といった地名と思われる標識も立っている。麦原集落に下りる分岐が何箇所かあった。こんな道、自分以外に歩く人もいないだろうと思っていたら、後からMTBが3台やってきた。
猿岩峠に到着、何やらいわくありげな名前だ。ここは麦原集落と、正丸尾根の下山地である椚平(くぬぎだいら)とを結ぶ峠である。城山まではほんの15分足らずだ。
少し急な坂を登って行くと、左手に尾根筋を辿る分岐があるので入る。ここには「城山」「大築城址跡 椚平部落一望見晴台」という標識が立っている。しばらく行くとその見晴台に出た。切り立った斜面から、たしかに椚平の集落が一望できる。これはなかなか素晴らしい眺めだ。
椚平は急な斜面に広く張り付いた集落なので、この展望台からは真正面に正対していて手に取るような眺めである。集落の横には、先ほど巻いてきた547m峰が端正な三角形で望まれる。
もうひと登りして、城山(大築山)の山頂である。山頂は東西に長く、平坦である。城址跡によく見られるような段差も認められるが、あまりはっきりしたものではない。山頂は樹林の中だが、一部刈られていて北面の眺めが得られる。
山頂から東に進み、小築山というもうひとつのピークに達したあとは、麦原集落への下山となる。
アルペンガイドではヤブ深いと説明のあった城山も、今では歩く人が増えよく整備された山になったようだ。ワイルドな山歩きを期待する人には少々当てが外れるかもしれないが、標高の割には山深く、けっこう楽しめるのではないか。
小築山から30分ほどで麦原集落の最上段の車道に着いた。こちらも日のさんさんと照る、明るい山上集落である。ここからは住吉神社を経て、朝通ったバス通りまで「あじさい街道」を歩くことになる。
路端の斜面にはオオイヌノフグリが見られ、畑には福寿草も花開いていた。まだ風の冷たい冬は続くが、そこかしこに春の兆しを見て取れる。
40分くらいで麦原入口バス停に着いた。バスの時間は少し先なので、次のバス停まで歩くことにした。越生梅林は近くにあり、この周囲にも梅の木は多く植えられているが、開花はもう少し先のようである。
今日は盛りだくさんの山歩きだった。小杉バス停の近くに、休憩スペースの併設された農産物特売所があったので、ゆず入りのうどんをおみやげに買って帰る。