秩父の山村はどこも、春になると様々な花が咲いてとても絵になる。この時期は山に登るついでに、桃源郷のような山麓の集落を歩くことも楽しい。笠山山麓の萩の平、大霧山の栗和田集落、破風山の大前などが印象深い。
皆野町営バス金沢線の終点である浦山は山歩きとは縁遠いと思っていたが、城峯山から踏み跡があるのを先日知った。今年はこの浦山集落の春景色をぜひ見てみたく、4月第3週の山行は城峯山と、前から決めていた。
さらに通算5度めの城峯山は、群馬側から登ることにした。この外秩父の名山は、上州の名山でもある。奥秩父の三国山から発する三国山地が関東平野に落ち込む、最後の1000m峰が城峯山である。
登頂後はその東に伸びる尾根を歩いて、埼玉県側の浦山に下山する。
ミツバツツジ咲く浦山集落
|
山手線の一番電車に乗って埼京線、さらに赤羽駅で5時23分発の高崎線に乗り換える。久しぶりの交通手段だ。新町駅から乗る路線バスももう何年ぶりだろう。車のない頃は、西上州の山に行くのによく利用していた。
ハイキング日和の休日にもかかわらず、小さな路線バスの乗客は自分以外高校生が二人だけだった。
県境越えで城峯山に登る場合、標高の高い埼玉側の西門平から登り群馬側に下ることが多いようだ。群馬側のアクセスとしては神川町営バスがあるが、朝の便は都心早朝発では間に合わない。アプローチは長くなるが、この新町駅6:50発・日本中央バスは自分の場合早朝自宅発でギリギリ乗ることができ、朝早くから歩き出すことが可能となる。
神流(かんな)湖下久保ダムの「ダムサイト入口」バス停で下車。ここで標高300mを超えている。まずは神流湖の湖畔を歩いて城峯公園を目指す。車道歩きが続くが付近はソメイヨシノがほぼ満開で春爛漫の様相だ。路端にスミレやキケマンなど山野草も多く見られる。
ダムの管理道路を渡り対岸の登りに入る。城峯公園まで関東ふれあいの道が続いているが、山腹を大きく巻く道である。ここは試しに、左に分岐する一般道で城峯公園まで行くことにする。地図を見るとこちらの方が若干近道に見える。
標高350mくらいの平坦な道を15分ほど歩くと、城峯公園への分岐があり、ここからは登りとなった。高度を上げると南側の登仙橋方面の住宅地が見下ろせた。なかなかいい眺めである。
ソメイヨシノはこの辺りでもほぼ満開で、日当たりの良い場所に立つ木はすでに芽吹きから淡い新緑の装いになっていた。
ミツバツツジや花桃の咲く城峯公園に到着。暖かく日差しいっぱいの明るい地だ。展望台に上ると神流湖の青い湖面と、周囲の山の斜面に貼り付くいくつもの集落がよく眺められた。神川町営バスに乗れればここまで登ってこれる。ただ時間が遅い。
公園から出て、そのバス停のある眺めの良い車道に出る。城峰神社の鳥居があったので立ち寄ってみる。城峯山頂下にある城峯神社の里宮であり、郷社との表記がある。この神社の名前はは城峯ではなく城峰と書くのが正しいようだ。
神社の裏手から神山に登れるようだが今回はパスして、城峯山を直接目指す。
公園から見る城峯山と思われるピークはまだ遠く、高い。標高の割には山が大きく風格があり、昔から人との関わりも深い山である。麓の秩父市、神川町、神流町、鬼石町それぞれの地で独自の文化や風習が育まれてきた。文明が進み人々の生活は様変わりしたが、山は昔のままの姿を保っている。
城峯公園からは、車道で宇那室集落に一旦下る。下るといっても公園と標高差はほとんどなく、せいぜい50mくらいである。
宇那室は城峯公園から続いている傾斜地に民家が貼り付いて形作られており、あちこちで花に包まれた明るい山村風景が広がっていた。集落自体がまだ城峯公園の一部のような印象でもある。
庭には花桃やミツバツツジが咲き競い、菜の花の黄色で埋め尽くされているところもある。裏手の山林でリスが木に登るのを見た。
宇那室バス停のあずまやで小休止。あらためて城峯山へのアプローチが始まる。指導標にしたがって車道を登っていく。追い越していく車は石間峠に直接上がっていくようだが、峠から15分で城峯山に登れてしまうのであまりにもあっけなさすぎると思う。でもそういうハイキング客は結構いるようで、少なくとも自分のような神流湖から延々歩く人よりは多そうだ。
車道が右に曲がるところで、左手に登山口があった。後ろから一人が追いつき、早足で登っていった。ここから山頂まで、出会ったのはこの人だけだった。
沢沿いの登山道は、芽吹きが始まっていて、明るく清々しい。カタクリが何輪か花をつけていたほか、コガネネコノメソウやエイザンスミレを見る。少し高度を上げると芽吹きの道は終わってしまい、以後は足元の花を探しながらの登りとなる。
しかしここに春の花が出揃うにはもう少し時間がかかりそうだ。ハシリドコロは葉が出たばかりのものがほとんどで、エンレイソウも開花前である。
沢をまたいで右岸に移り、さらに登っていくと「跨ぎ仕舞い」という場所に出た。文字通りここで沢を跨ぐのは最後になり、尾根筋の急登が始まる。杉林は鳥のさえずりもなく、水の音さえも聞かれなくなったので、あたりはより一層静寂が支配する。
きつい登りが30分ほど、空が広くなると「車に注意して下さい」の導標、そのすぐ先で再び車道に出会う。このすぐ上が石間峠だが直登する踏み跡はなく、ジグザグにつけられた車道を素直にたどり、休憩舎とトイレのある石間峠に着く。
さらに10分余りの登りを経て城峯山山頂に到達する。ダムサイトバス停から実に3時間40分、今まででもちろん最長の、はるばる登ってきた感のある城峯山となった。
展望台に上ってみる。春霞ですっきりした眺めは得られないものの、一応全方位見える。まだ白い浅間山や八ヶ岳、志賀の山も。
埼玉・群馬県境近くにある山は、冬は上州からっ風が冷たく、この展望台も5分もいると凍えてしまう。さすがに今日はそんなことはないが、風が強いのは変わらなかった。上のほうでゴー、ゴーとすごい音を立てている。
展望台を下りて休憩する。アカヤシオがもしかしたら咲いているか、岩場のほうへ行ってみたい気もしたが、まだ先は長いので今日のところはやめておく。
再び石間峠に下り、さらに東の尾根を行く。木の階段を登り返し、いったん平坦になって再び木の階段。これは長い。左手が自然林でいくぶん明るくなった。鐘掛城のピークから振り返り、展望塔の立つ城峯山山頂部が見える。
鐘掛城から先は一般の登山ガイドなどでは紹介されていないものの、登山道ははっきりしている。14年前の城峯山初訪の時は雪の積もった道を奈良尾峠まで歩き、秩父華厳の滝に下った。
杉の木の枝が散乱したかなり急な下り坂となりきつい。傾斜が落ち着いた後は藪もない穏やかな歩きになる。このあたりはまだ標高が高く、森は冬の姿である。左手の斜面にアズマイチゲが咲いていたほかはスミレさえも見ない。
やがて左下方に遊歩道が沿っているのに気づく。思いがけず園地化された場所に出て、北方向の眺めが良さそうな小ピークがあった。おそらくかみたけ山というところだろうが立ち寄りはしなかった。
祠があるところで右手に、秩父華厳の滝に下る道が分岐している。前回はここを奈良尾峠として下山した。今日は風早峠を目指し左下方向へ。下り立ったところは車道で、地形図上の奈良尾峠はここを指しているようだ。
車道からすぐ、尾根筋に戻る入口がわかりにくい。石間峠~奈良尾峠間に比べると、奈良尾峠から先の道はさほど歩かれてはいないようだ。
山道に復帰したとたんに手を使うような急登となる。稜線上はやや藪道で、ルートファインディングと言うほどではないが、やはり今までの道とは少し違う。
アカマツの茂るピークを越え、776m三角点を確認するあたりでは標高もずいぶん下がり、日当たりの良いところにニオイタチツボスミレが咲いていた。
再び尾根を外れて、左下の車道へ。大きな石の記念碑のあるところが風早峠だった。
記念碑の横から登山道が続いており、ほどなく浜の谷、高牛橋への下り道が分岐していた。指導標の「風早峠9.0km、浜の谷11.5km」という表示はすごい。一桁間違っている。風早峠はついさっき、通り過ぎたところだ。また、ここから下山地まで11kmあるのだとしたら、たまったものではない。
浜の谷への下山コースは新ハイキング4月号に載っており、花がいっぱいの集落だという。浦山に下るか浜の谷か、直前まで迷っていたが、最初の計画通りにしよう。
指導標が示していない直進方向へ歩を進める。すぐに左に踏み跡が分岐しており、そちらに入って数分行くと尾根の肩のようなところに出た。特に表示はないが金沢城山という715mピークだろう。
城峯山以来久しぶりの展望地で、群馬側の桜山方面が正面に。神流湖や城峯山もずいぶん遠くなったもののまだよく見える。
浦山から出るバスは約1時間後で、距離的には余裕だ。が、ハイカーにとってはむしろここからが問題で、参考にしている記録によるとこの先の小ピークで踏み跡がなくなるらしい。
藪っぽいコブを急登、急降下し、さらに次の起伏を超えると確かに踏み跡が途絶えた。地形図上は尾根通しには線が引いてあるのだが、何らかの理由で歩く人がなくなった結果、低潅木がはびこり踏み跡は消失したのだろう。まあどちらにしても、右手下に林道が見えるので下ってしまえばいい。
参考にした記録ではかなり手前でその林道に降りていたが、結局目の前のピークをまっすぐ越えて、足触りの柔らかい杉植林の急斜面を一気に下ることにする。傾斜は半端でないが、10分ほど我慢してその林道に下り着いた。
振り返るとその斜面にカタクリがたくさん咲いている。MTBが一台、通り過ぎていった。
林道をそのまま辿ってもバス停まで行けるようだが遠回りになる。少し戻って、カーブミラーのところから再び山に入る。防火水槽の赤い標識もいっしょに立っているところだ。
ここには作業道のような細道が通じており、下の方ではここにもカタクリが群落をなしていた。
浦山集落の里道に入れたのはバス時刻の20分ほど前だった。浦山も朝の宇那室と同じように、日当たりの良い斜面に民家や畑の貼り付く場所だ。民家の庭には桜やモクレン、ミツバツツジ、桃の花が所狭しと咲く。
浦山バス停は下り坂の途中にある。すぐ下の家の敷地はミツバツツジの見本市のようになっていた。
バスはガタゴトとのどかな音を立てながらゆっくり坂を登ってきた。バス停でエンジンが切られると周囲には静寂が広がる。人は住んでいるのだろうがあまりにも静かである。
採掘で削られた山を見ながら、バスは横隈山登山口の更木を過ぎる。いろは坂折り返し場や出牛まで下りてくるとソメイヨシノが満開で壮観だ。バスの車窓からは、桃源郷の風景が途切れることはない。
乗客は結局、終点の皆野駅まで自分一人だった。県境越えの1日が終わった。