皆谷バス停で下車し、集落の中を伸びる道をゆっくりと上がっていく。初冬のピンと張り詰めた空気が久しぶりで気持ちいい。
物音ひとつしない中を黙々と登り山上集落の萩ノ平へ。前回ここを歩いたのは5,6年ほど前だったか、その時は何とか読み取れた古い指導標の文字はついにかすれきって読めなくなった。
その代わりに、外秩父七峰縦走のコースを示すプレートが随所にある。大会は毎年4月に行われるが、標識は抜かれることなく一年中立っている。七峰縦走も今やすっかりこの土地に定着したようだ。
定峰峠付近から笠山を望む
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天気予報に反して上空は厚い雲。強い寒気が日本海側に大雪を降らせており、こういう時は太平洋側は晴れると言われるが、あまり寒気が強いと曇ることがある。
林道と何度か交差しながら、檜の人工林を抜けて林道終点、ここからは広葉樹の多い登りとなる。木の葉は大方落ち、ツツジなどの低潅木が色づいた葉を残すのみ。登るにつれ両神山など奥秩父や群馬県南部の山々がせり上がってきた。
上の方は風があり、登るにつれてどんどん気温が下がってくる。それでもアシビの茂る稜線に出ると、ツツジが返り咲きでピンク色の花をつけていた。中には黄葉した葉を従えているのもあって、春・秋・冬の3つの季節が同居していた。
笠山西峰に着く。東側の眺めが開けている。赤城山塊は雲を被っているが榛名山地は晴天の様子。上空の風は強く、今日はなかなか気難しそうな天気だ。東峰も往復して、スカイツリーが見えることを確認する。
今日は大霧山までぜひ縦走したい。早めに出発する。笠山林道に下りるとバイクの集団が通り過ぎていった。登山者はあまり見ない。笠山峠から七重峠。堂平山へはちょっとした長い登りとなる。コナラが主の雑木林で、他にはクヌギ、ホオノキ、ウリカエデ、ヤマザクラ、ミズキ、リョウブなどを見る。樹皮でおおよその樹種に見当を付け、周囲に落ちている枯れ葉の形から推理していく。それでもまださっぱり見当がつかないものが多い。木の同定は花よりも難しく奥が深いようだ。
イヌブナを含めブナはない一方、ミズナラは少し見られた。
堂平山に到着。頭上は相変わらず雲があるが周囲の山の眺めはすばらしい。12月にしては空気が澄んでおり、浅間山や浅間隠山、日光の山、筑波山、南にはスカイツリーや新宿のビル群がよく見える。
パラグライダー愛好者のグループが10名ほど、あとは自転車の人が時々やってくる。登山者が一番少ない。
山頂付近にあった看板には、堂平山の芝地に入ることは禁止、と書かれていたので山頂の展望盤のあるところまで上がる。パラグライダーば芝生に入ってもいいのか、と疑問に思ったが、他にあった注意書きを見ると「一時的な休憩は芝生に入ってもいい」ようなことも書かれているので、それを根拠にしているのだろう。
(2019/1/9追記)
掲示板でご指摘をいただきました。
堂平山西の芝地は私有地であり、パラグライダークラブが土地所有者と借地契約して専用エリアとして使用しています。登山者を含め許可を得ていない人の立ち入りは禁止になっています。
一方、「一時的な休憩は芝生に入ってもいい」との注意書きは展望盤のある山頂のことを指していて、パラグライダー発着に使われている芝地のことではありません。
しかしとにかく寒い。今日はこの冬一番寒さということで、この標高800m台の山々でも山頂の気温はおそらく0度付近、冷蔵庫のような寒さだ。おまけに強い北風が上空を舞うようになってきた。雲が取れ日が差すようになれば少しは違うだろうがその期待は薄い。じっとしていると寒さが見にしみるので腰を上げた。
頭上の10m上くらいにパラグライダーが1台、空中停滞している。どうも着陸しようとしているようだが、強い風で悪戦苦闘していた。すぐそばに木が立っているので大丈夫かなと思っていたら突然、その木の枝に機体が引っかかり、あっという間に墜落した。
操縦者は地面に叩きつけられたようだが、自分のいたところからは斜面の反対側に落ちたのでその瞬間は見えなかった。急いで落ちた場所まで行ってみると、すでに他の仲間が介抱しており、落ちた人は上半身を動かしていた。しかし立つことができないのでもしかしたら足を骨折しているのかもしれない。落ちた場所が柔らかい芝生の上なので最悪の事態には至らなかったようだが、数メートルずれていれば舗装された車道だったので危うかった。
静かな初冬の山で、しかも目の前でとんでもないものを見てしまった。今日は風が強いことは天気予報で伝えられていたはずだが、落ちた人はその情報を生かせなかったようだ。堂平山は山頂まで車道がきているので、救護はスムーズだろう。
気を取り直して先に進む。稜線沿いは風が冷たいので、少し下の車道を歩く。それでも寒く、ふだん行動中に身につけることのないダウンジャケットを広げて、着ることにした。こんな寒い1日になるとは思わなかった。
剣ヶ峰を越え、白石峠まで来るとようやく風は収まる。峠からさらに登り返しで高度を取り戻すが、今度は稜線でも風はない。進む方角が変わると風の強さや体感温度は全く違ってくる。
アップダウンの続く尾根を歩いていく。地面を埋め尽くす大きな落ち葉はカシワだった。名の知られた木にもかかわらず、東京近郊の山でカシワを見ることはあまりない。カシワはこの後も、大霧山まで随所に見られた。
時々前方の眺めが開け、本日の最終目的地、大霧山の山頂が見えてきた。かなり遠い。手前に牧草地と思われる台地がわだかまっている。
檜を中心とした人工林は林床がすっきりして手入れが行き届いている感じだ。急ぎ足で通過してしまいがちな人工林も、美しい林姿は見ていて楽しい。右手に笠山が大きく見られる伐採地に出ると、ほどなく定峰峠である。自転車やオートバイがたくさんいたが、茶店は閉まっていた。空気もようやく温まってきたようでほっとする。
峠を後に再び稜線を行く。すぐ右手が大きく伐採されていた。檜の切り株がたくさん合ったので年輪を数えてみると、およそ55から60が刻まれていた。自分の歳とほぼ同じである。自分が生まれた頃これらの木は生を受けここに植えられたと思うと、少し感慨深いものがある。
伐られたところには「○○の森」と企業名を記した看板が立てられていた。最近はこういった企業名のついた森をよく見る。それも林業の会社ではなく、出版社や輸送用機器の社名だ。以前奥多摩の高水山付近でも製鉄会社の森があった。国や県の条例により、社会的責任の一環からこのような森林保全事業を手がけている企業が多いようである。
元々こういう林は個人が林業を営む者として所有していたものを、企業に売却したというケースもあるのだろう。
林業は植林から伐採まで、短くても30~40年とスパンが長い。木材の需要があるからといって植林(投資)しても、それを伐る(投資回収する)ころには社会情勢の変化で需要がなくなっているかもしれない。林林経営は他の仕事に比べて恐ろしく長期的な視点が必要で、企業、特に短期的な投資回収が求められる株式会社が手がけるにはスクの多い事業のように思う。世の中のスピードが速くなってきた現代ではなおさらである。
製紙や林業などの専門業ではない企業が、今までとは別の形で森林とつき合っていくことが、今後はさらに増えていくのだろうか。
旧定峰峠を過ぎ、登りとなる。先ほど見えていた牧草地までやってきた。登山道との境目は今でも鉄条網である。
牧草地はススキが伸びているところもあったが、大方は芝地になっていた。冬以外は牛が放牧されているのだろうか。大霧山に初めて登ってから20年近くたっているのに、そのような季節に登ったことがないのでいまだにわからない。
高度を上げていくとまた、風が出てきた。しかしこの時間になってようやく、青空が頭上近くに。
大霧山に到着。西風が吹きつけ、みたび極寒の山頂となったが展望はやはりすばらしい。奥秩父山塊の甲武信岳や雲取山が大きく、両神山の後に八ヶ岳も覗いている。北に目を転じれば谷川岳、仙ノ倉山といった上越国境の山も雲が取れていた。大霧山の展望は360度ではないが、見える山の顔ぶれが充実している。日本百名山もかなりの数が見えているはずだ。
目的の比企三山縦走は果たせた。パラグライダーの墜落はじめ、いろいろなものを見た1日だった。最近は山を見る視点が変わってきたせいか、何度も歩いている道でも新しい発見がある。今日はカシワを見れたことと人工林の美しさ、そして自分と同い年の伐採林が印象に残った。
西武線で帰りたいので粥仁田峠から西に下る。新しい牧草地ができていた。蛇紋石の案内板を見て、林道を歩いて入山地区の山村に下り立つ。高原牧場入口バス停で帰りのバスを待つ。
3時半なのに太陽はもう林の向こうに隠れてしまい、寒い中のバス待ちとなった。