乾徳山は2000年9月、2005年8月に続き3回目の登頂。歩いたコースは2000年の時と同じである。
2000年の山行記録を読み返してみると、文書自体は稚拙だが、まだ登山を始めて日が浅かった頃でもあり、峻烈で瑞々しく元気のある内容であることに気づかされる。山で見たもの、感じたことが全てもの珍しく、新鮮に体内に取り込まれていたのだろう。
最近書くものは、どうも説明調でくどい山行記になってしまっているようだ。
今回は、その2000年の山行記録と、文面を似せて記してみた。
富士山が現れると皆一斉にカメラを向ける。乾徳山山頂にて |
登山口から徳和の集落を抜け、林道を緩く登る。乾徳山神社の里宮と養魚場がある。数台置ける駐車スペースもあった。徳和から30分くらいで乾徳山入口の標識に至る。ここからが登山道になる。
始めのうちは植林下を登って行く。緩い登りが続き、荒れた林道を何回か横断する。
空模様は可もなし不可もなしだが、朝が早いのとあまりの暑さで敬遠されているのか、人を見かけない。花も全く見られない。以前はフシグロセンノウ、キツリフネなど見られたのだが。
銀晶水の水場は、水の出は少し悪い。暑いのでタオルを水に浸し、首にかけて行く。
その先に駒止という場所がある。昔の人は、馬をここで留めてあとは自分の足で上がっていったのだろう。どの山でも駒止とか馬止、馬返しという地点から先は山道は険しくなる。乾徳山も駒止以降は、石がゴロゴロした急登となった。
鹿を4頭見た。人間を全く恐れず悠然と餌を探している。
傾斜が緩くなり、錦晶水の水場に着く。こちらの水は出がいい。ここで初めて人を見る。挨拶はしない。
ここからはしばらく、なだらかな道となる。国師ヶ原は以前に比べて樹木や草が増えた感じがする。乾徳山はガスに隠されている。
ここにもグループの登山者がいた。彼らがいなくなるとまた鹿が現れた。今度は1頭。人がいなくなってから現れたので、少しは警戒はしているのだろう。
左に高原ヒュッテ(無人小屋)への道、右に道満尾根への分岐の十字路となっている。扇平へは直進する。やがて草原状の急登となる。マルバダケブキが群落を作っているが他の花は全く見ない。
扇平の巨岩の上に、女性が2名、立ってポーズをとっていた。連れの男性に写真を撮ってくれと当然のようにカメラを渡された。「疲れているのは承知していますがお願いします」だと。しゃくだから断ろうと思ったが、それもひどいので了承した。とり終えたらその場にカメラを置いて乾徳山に向かう。
ウメバチソウ、アザミ、タチフウロを数輪、やっと目にした。13年前に見た花畑はもはや存在しなかった。
周囲はガスが立ち込め、乳白色の眺めである。
樹林帯に入ると再び岩をぬっての急登となる。乾徳山の核心部は、これからだ。高度を上げるにつれてやせ尾根状になり、道の傾斜は増して行く。針葉樹林のすぐ外側に、ダイナミックな岩盤が山の斜面を形作っている。登山道はこの樹林帯と、岩場のちょうど間につけられている。時々展望のよい岩場に出られる場所が何箇所かあるが、ガスが濃いので立ち寄らない。
暑さも手伝ってか、かなりバテてきた。少し休みたいと思うころ、巨大な岩盤が立ちはだかる鎖場の基部に到達する。中央に鎖が下がっている。鎖は上部、下部の2本に分けられている。気合を入れて登る。先々週登った妙高山では、燕登山道の鎖場が乾徳山のと似ていると感じたが、乾徳山のほうは久しぶりに登るとかなりの高度感があり、燕登山道よりも大変である。
疲労が来て足が重く耐えられず、腰を下ろしてしばらく休憩する。オミナエシ、ヨメナが咲くのを見る。急な岩場の上は鹿も来ないのか、高山植物がちらほらと目につくようになった。
そこからしばらく行くと、ついに山頂直下、天狗岩の鎖場となる。
天狗岩は、高さ10mは裕にありそうな、ほぼ垂直の1枚岩。鎖はあるが、最初の3~4mは足がかりがほとんどない。鎖にしがみついてリズムをつけて登る。腕力が幾分必要だ。
天狗岩を越えると、ようやく乾徳山山頂。360度の広大な展望が待っているはずだが、ガスで一面真っ白だった。
今日はこれから黒金山まで縦走の後、大ダオを経由して徳和に戻ってくる予定でいた。昼食をとろうと思いザックをあけると、昼食が入っていなかった。車の中に置き忘れてきたようだ。
とりあえず菓子パンで腹を満たすが、今日の疲労の度合からしても残りの非常食で9時間の歩くのは、無茶というものだろう。今日のところは乾徳山だけで下山することにした。
山頂は風が通り涼しく、快適である。以前同じ時期の登ったときは、少し寒さを感じたくらいなので、今日は、というか今年はやはり相当な猛暑なのだろう。
眺めが乏しかったがようやく、ガスが回り始めて富士山をはじめ、御坂や大菩薩方面の山々が見渡せるようになった。晴れればこの山は第1級の展望地となる。皆が一斉に富士山にカメラを向ける。自分は縦走するはずだった北のほうを向いていたが、黒金山は雲間から見えたけれど甲武信岳や国師、金峰山は姿を現さなかった。
下山は岩尾根を真っ直ぐ進み、西に折れて国師ヶ原に続く巻き道を行く。前回同様、浮き石の手ごわい急な下りである。平坦な山腹道に移ってからも割と長い。少し標高を下げただけで急に蒸し暑くなる。
高原ヒュッテは、以前は営業小屋だったそうだが、今は無人。扉のサッシは1枚張られておらず、筒抜けになっていた。しかしシュラフでの寝泊りは出来そうだ。ストーブもある。
国師ヶ原で休んでいたら、さっきの鹿がまだいた。奥秩父の鹿は確実に増えている。山に花がなくなったのは鹿の仕業、というが、温暖化やその他の理由で鹿の個体数が増えたのが直接的な原因だろう。食べるものがないので彼らも生きるために必死である。結局は温暖化をもたらした人間に責任がある。鹿が悪いのではない。
花という花、山菜まで食べ尽くしてしまったら鹿自身もこれから、困るのではないか。全部食べてしまわず、少し残して来年芽が出てくるのを待つ、そういう賢さを獣は持たないのだろうか。
今は「鹿も食べないマルバダケブキ」ばかりが奥多摩や大菩薩の山には咲き残っている。しかし聞くところによると、食料争奪戦に負けた鹿は、決死の覚悟でマルバダケブキをも食べてしまうらしい。
このまま来た道を下ってもよかったが、時間はさほど変わらないし、やや体力も回復したため道満尾根を下ることにする。国師ヶ原から少しの登り返しのあと、大平牧場へ下る林道と分かれて道満尾根の登山道に移る。ミズナラやアカマツの茂る急坂である。
ここにも花はないが、静かで心休まる道だ。今日の行程で尾根筋を歩く場所はここだけである。道満山は樹林の中で展望がないが三角点があった。
道満山からは転げるような急坂を下っていく。下の徳和の集落から村内放送か何かのオルゴール音が聞こえてくる。
檜林の徳和峠で尾根を外れて、10分ほどで林道に下り立った。徳和の集落が一望でき、いい眺めである。
暑い日差しの照りつける里道をさらに下る。コスモスの咲く民家脇を歩き徳和の駐車場に戻る。朝早く歩き出した割には下山は昼過ぎのいい時間になってしまった。
鼓川温泉に立ち寄り、渋滞の中央道で帰京する。