2017年3月12日(日) |
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練馬IC |
5:25 |
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関越自動車道 |
◇ |
花園IC |
6:00 |
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国道140号 県道44,37号 |
7:05 |
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地蔵寺 |
◇ |
7:20 |
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観音院山門 |
7:25 |
7:35 |
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観音院 |
7:40 |
7:45 |
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東奥ノ院 |
7:50 |
8:15 |
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稜線 |
◇ |
8:28 |
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大石山 |
8:32 |
8:43 |
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観音山 |
9:20 |
9:37 |
牛首峠分岐 |
◇ |
9:45 |
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西奥ノ院 |
◇ |
10:15 |
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日尾城跡 |
◇ |
10:25 |
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牛首峠 |
◇ |
10:45 |
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観音院山門 |
◇ |
11:00 |
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地蔵寺 |
◇ |
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県道37,71,282号 馬上カタクリ自生地立寄り 石間福寿草自生地立寄り 国道140,299号 国道463,254号他 |
18:30 |
五反田 |
◇ |
秩父の山も、名の知られているところは一通り登った。残っているのは小鹿野町の観音山、釜ノ沢五峰、南天山といったところだ。秩父に入るのかは微妙だが飯能周辺の天覚山、大高山は未踏だ。田部井淳子さんが晩年登っていた日和田山もまだだった。
秩父の山は登りやすく、交通の便もそれほど悪くない。今日登る観音山は秩父山域でもかなり奥地のほうだが、西武秩父駅から路線バスが出ている。小さい山であり、栗尾バス停から登って馬上(もうえ)に下れば半日コースとしてちようどいい。馬上のカタクリ自生地にも寄れる。今回は、毎年行っている石間の福寿草自生地にも寄りたいので車で出かけた。
観音山山頂
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登山口のある観音院山門の手前に地蔵寺があり、そこから歩くことにする。地蔵寺は水子供養発祥の寺として知られており、駐車場に着くと周囲にはおびただしい数の水子地蔵が立ち並んでいた。ちょっと異様な光景である。
まだ朝早いからか、あたりには誰もおらず静かだ。この先の観音堂へ向かうと思われる車が通り過ぎた。自分も徒歩で、その後に続く。
短いトンネルをくぐりしばらく行くと、大竜寺温泉の源泉地を示す建物があった。温泉スタンドにもなっている。大竜寺温泉は秩父の隠れた名湯と個人的には思っている。メタ珪、メタホウ酸を多く含むやや苔の香りのするお湯で、いかにも山の温泉という感じがする。
湧出湯量が少ないからか、あまり大がかりな入浴施設はなく、近くの旅館に供給されているのみだ。自分もいくつかの旅館に泊まったことがある。なので、こんな温泉スタンドがあるとは意外だった。話のタネにペットボトルにでも入れていくかと思ったが、100円で何と40リットルも取れるらしい。いつか大きな容器を持ってこよう。
観音院山門に着く。恐い顔をした仁王様が二体立っている。車道はここで終点となり、その仁王門をくぐって観音山への登りが始まる。出だしから階段の急登だ。観音像や句碑がたくさん置かれている。周囲はロウバイがたくさん植えられており、早春の甘い香りが漂う。
登り着いた観音院には立派な本堂が建ち、横に大きな滝が流れ池には鯉が泳いでいた。もっとも、滝は水量がほとんどない。ここまでの急階段を登ってくるのは大変だが、秩父三十一番札所で建物も比較的新しく、参拝に来る人は多いようだ。
西奥ノ院への道は崩落で通行止めになっていた。社務所の横を通って東奥ノ院へ向かう。東奥ノ院は尾根が突き出た場所にあり、少し眺めが開けた。矢抜き穴と看板が立っており、戦国時代の武将がここから矢を放ち数100メートル先の岩を射抜いたというらしい。確かに遠くに見える岩壁に、いくつかのそれらしき穴が開いている。妙義山域の星穴岳のようだ。ここから見上げる観音山のピークはかなりとんがっていた。
東奥ノ院からは丸太の階段となるが、これが一段50センチくらいあって大変な登りとなる。いくら階段に慣れている登山者もこれには参るだろう。相当な傾斜地に登山道を作ったということだ。
いいかげん膝が悲鳴を上げ始めた頃、ようやく平坦な道に移った。山腹をトラバースしていくと地蔵寺からの踏み跡が合わさった。地蔵寺からも登れるようだが、踏み跡が細くて歩きにくそうだった。
さらに牛首峠から来る道とも合流し、再び登りとなる。仁王像細工場(さいくば)の標識を見てさらに高度を上げると稜線に達する。反対側には合角ダムの人工湖である西秩父桃湖が見下ろせた。
ここを左に行くと観音山だが、時間もあることだし右の大石山に先に寄っていくことにした。カラマツ峠に下りる道を見送り、やや荒れた感じの稜線を緩やかにアップダウンしていくと、尾根の突端に行き着く。特に眺めがあるわけでなく山名板も見当たらないのだが、この先は下っているので大石山山頂はここだろう。
下る尾根は、さっきの地蔵寺からすぐの観音トンネルの上に通じているようだ。ただ、登山道があるかはわからない。
分岐に戻って観音山へ。仁王像の切り出し場から少しの登りで観音山山頂に到達する。いくぶん樹林がじゃまをするが、両神山、二子山をはじめ奥秩父や西上州、さらには奥多摩の稜線も見える。ベンチの代わりになる石もあって、ゆっくりできる山頂である。
来た道を引き返し、牛首峠への道に入る。このルートを取れば観音院山門を起点に周回コースが取れる。
少し歩くと、西奥ノ院への分岐があった。ここから西奥ノ院に行けるとは思わなかった。戻ってくるとき少し登り返すことになるが、せっかくなので寄っていく。
尾根道は次第に痩せてきて、鎖のかかった下りとなった。路面が固いので逆に滑りやすくもある。鎖を3本通過したところに西奥ノ院のあずまやがあった。東奥ノ院が見え、反対側には射抜き穴がさっきより近くに見えた。東奥ノ院から見えていた岩の穴の下に、白い的のようなものがかかっているのが見えた。
この西奥ノ院はあずまやがあるだけで祠のようなものは見当たらなかった。どこか草むらに隠れていたのだろうか。
稜線の分岐まで登り返す。あらためて牛首峠方面へ向かう。登山道は尾根上ではなく、かなり下の山腹を巻いていく。所々で右斜面が崩れてザレ状になっており、道が土砂で埋まっているところもある。左は急崖のところもあるので通過には注意が必要だ。
日尾分岐を経てやや登り返し、明るい雑木林に入る。地元の中学生による自然保護の標語の書かれたプレートが現れた。「食べ物を捨てると熊(熊の顔の絵)が出る」はわかるが、「ジュース並みの雨が降る」というのは難解。しかし言いたいことはなんとなくわかる。
小尾根を乗っ越すところは鎖で下る。さらにもうひとつ尾根をまたぐと日尾城跡となる。ここでも倉尾ふるさと館への道を分けると反対側には馬上の集落が見えてきた。正面の山は父不見山だろう。
次第に岩っぽい道になってきたが、このあたりは矢抜き穴のあたりだろうか。大きな岩壁を巻き、その岩を切り通したような狭い場所が牛首峠だった。馬上への下山路が伸びている。
高度差がそれほどなければここから馬上まで下りてカタクリ自生地を見てから、登り返してこようかとも考えていたが、馬上はまだかなり下に見えていたので、やはりここは素直に観音院山門に下りることとする。
谷間の薄暗い登山道を下っていく。途中で滝への分岐が二つほどあったが、道がわかりにくそうだったのでやめておく。林道に出たと思ったらあっけなく観音院山門の前に出た。すっかり日も高くなった中を地蔵寺まで下る。小さい山だったがなかなか面白かった。
車で観音山の裏側へ回り、馬上に寄っていくこととする。合角ダムの桃湖を橋で渡るが、以前来た時、こんな湖はあっただろうか。自分の持っている奥秩父山域の登山地図はもうかなりの年代ものだが、このあたりは掲載範囲外なので以前の様子はわからない。ただ記憶を辿る限り、湖はなかったと思う。いずれにしてもこの人工湖のほとりから見上げる観音山は、その標高にたがわずなかなか立派な山容である。
馬上バス停に着く。2004年に来たときは、倉尾支所という名のバス停だった。昭和初期に立てられたようなバス待合所が今でも残っていて懐かしい。駐車スペース脇にカタクリ自生地の導標があったのでそれにしたがい、川べりに入っていく。牛首峠に通じる登山道もこの道を行くようだ。
カタクリはさすがにまだ咲いておらず、葉も出ていなかったが、節分草はたくさん見られた。堂上の自生地に比べれば微々たるものだが、見られれば十分。住宅の裏手の斜面にひっそりと咲く、このイメージが節分草には似合っている。
日もすっかり高くなり、次は石間沢口地区の福寿草を見にいく。ここには、ここ5,6年ほどずっと通っている。農家の老夫婦が家の裏山に咲く福寿草を大切に保護しているもので、上のほうはまちがいなく自生のものだ。
四阿屋山の福寿草園や大ドッケの群生地のように大群落を作るような場所ではない。それだけに、いつ来ても見物人も少なく静かである。毎年この時期に福寿草まつりが行われるのだが、今年はそれはなく、例年以上にひっそりとしている。老夫婦の姿はなく、一人の若者が自生地の整備をしていただけだった。
鑑賞を終えて山から下ると、その若者もいなくなっていた。今年は多めに協力金を寄付しようと思ったのだが、お金を入れる箱も今年は立っていなかった。
秩父の小さな、それでいて小気味良い山と早春の花を今日は楽しめた。これがなければ自分の春山行ははじまらない。