皇海山へ、友人と登ることにした。今年の初夏山行のメインイベントである。
関東百山の登頂数も90を越え、残っている「曲者」は錫ヶ岳とこの皇海山くらいになった。
深田久弥著「日本百名山」によれば、皇海山(すかいさん)という変わった山名は、その山容が笄(こうがい=くし)に似ていることから、のちに「皇開」の字があてはめられて「皇海」に転じたと言う説がある。皇は「スメ」とも読むので縮めてスカイという呼び名が定着したとのことだ。→庚申山から見た皇海山
山が趣味の人でなければ、絶対に読めない山名である。
皇海山山頂直下は、原生林の中の急登となる
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群馬と栃木・足尾山域にまたがるこの山へは、以前は栃木県側からアプローチし、庚申山荘泊で庚申山を越えて登るルートが定番だったが、かなりの難路であり歩行時間も10時間を越える。今回は梅雨時期で空模様が安定しないこともあり、マイカー利用の皇海橋ルートで1日行程のプランとした。
このルートは、山と渓谷社版アルペンガイド2000年版「奥日光・足尾・西上州」の執筆者が沢登りの途中で見つけたもので、登山道としてはそう古いものではない。こちらの群馬県側からの方が登りやすいため、今や皇海山登山の主流ルートとなっている。ルートを発見したこの筆者は、「このコースが定着したことにより、山深く静かだった皇海山が俗化されてしまったのは残念なことである」と記している。
俗化したといっても、登山口まではかなり長い距離の林道を車でアプローチする必要があり、しかも相当の悪路だそうだ。片側が急崖になっている場所では、過去に車での転落事故も起きているそうである。
山麓の片品村に前日泊する。夜が明けると雨も上がり、まずまずの天気となった。
登山口までのアプローチは2通りある。栗原川林道か、根利林道にするか迷ったが、宿の人の勧めもあって、根利林道にした。民宿の家族のおじいさんは昔、根利林道を何度も使ったことがあるそうで、こちらの方が長いけれども危険な箇所は栗原川林道より少ないと言う。片品村からは遠回りになるが、安全運転第一とした。
薗原ダムを過ぎて根利集落に入り、しばらくして道は未舗装に変わる。ゲートを開け森の中に入ったところから、1時間ほどの林道走りが始まる。走るにつれ山深さは増し、猿の群れや鹿が現れ車の前を通り過ぎていった。
路面状態はひどいというほどではないが、何しろ長い。子供ならデコボコ道に乗り物酔いするかもしれない。標高1400m近くまで上げ、ようやく皇海橋の登山口が見えてくると、朝ごはんはしっかり取ったのにお腹がまた空いてきてしまった。
時刻はすでに8時近い。橋の手前の駐車スペースにはすでに一台の車が駐車している。京都ナンバーの軽自動車である。デコボコ道をよく軽で来たものだ。また、皇海橋の先(栗原川林道側)にもすでに何台かの車が停まっていた。
カラマツなど深い樹林帯の中を登っていく。沢を飛び石伝いに渡り、その沢を高巻く道にいったん上がった後、再び沢を絡んだ緩い登りの登山道となる。皇海山を示す指導標が数百メートルおきに立っており、登山道もはっきりしている。奥日光の山でよく見かける、正方形を斜めにした標識代わりのプレートが木についていた。
やがてもう一度沢を渡り、方向はやや右に折れ、しばらくすると水量の少なくなった沢の上を歩くようになる。傾斜が次第に増してくるとロープの下がった急な登りも交えるようになった。上部に稜線も見えているのだが、近そうでなかなか到達しそうにない。森はますます鬱蒼とし、薄暗ささえ感じるようになる。
沢筋を離れても傾斜のきつい道は続き、それこそ這っていくように登る。皇海山への最短ルートと言われているので、稜線に上がるまでにこんなに苦労するとは思わなかった。
前方が明るくなって、ようやく稜線の不動沢のコルへ登り着く。広くはないが、シラビソやダケカンバに囲まれた、静かで好ましい笹原の地である。朝から青空に恵まれていたのに、栃木県側は天気が悪く、県境のこのあたりは雲の中だった。
しかし右手には奇怪な岩峰、鋸山がよく見える。皇海山往復後、余裕があれば鋸山へも登る予定だ。
皇海山へは、再び樹林帯の中へ。ここまでかなり登ってきた感があるが、まだ高度差350mを残している。次第に急登となり、針葉樹に変わった森の中をひたすら登高。途中で背後が開け、鋸山や遠く沼田方面の町並みが覗くが、すぐにまた森の中となる。雲取山の北面に雰囲気が似ている。
道中ミツバオウレン、コミヤマカタバミの小さな花を見るが数は少ない。
刀剣碑の横からひと登りで、皇海山山頂である。周囲を原生林に囲まれており、山の深さをしみじみと感じる頂である。いつかは登ろうと決めていた山であり、山頂の真ん中に腰を下ろして、登頂の余韻をゆっくり楽しむことにしよう。
眺めがないことはわかっていたのだが、これだけ苦労して登ってきたのだから、どこか展望場所を用意してくれていてもいいはず。あたりを歩き回るが、樹林越しにわずかに北側が開けているところがあったのみ。その方角には、国境平から日光白根山に至る笹原の気持ち良さそうな稜線が伸びているのが見えた。山頂からの踏み跡もかすかに認められるが、今日は来た道を下らねばならない。
急坂を下っていく。自分たちが最後の登山者かと思っていたが、まだ登ってくる人はいた。みな皇海橋ルートからであり、庚申山から登ってきた人はいないようだった。栗原川林道で来た人に様子を聞いたところ、それほど危険なところはなかったが、道が狭いことを強調していた。
青空はすっかり見えなくなり、皇海山も上部は雲に覆われてしまった。不動沢のコルに着くと、ちょうど鋸山を下って来た人に出会った。駐車場の京都ナンバーの人だった。コルから鋸山への往復は1時間強で、途中のロープのついた岩場に注意が必要と言う。
天気がよければ展望を求めて往復するのだが、ここまでかなり足を使わされたし、こんな天気なので迷った。同行者の帰りの運転の負担も気になるので相談したところ、せっかく前泊までして来たのだから登ろうと言う。
たしかに、今日はそういう意味では、皇海山登頂のために満を持した計画でやって来たのだ。個性のある岩峰、鋸山に登らないわけにはいかないだろう。
鋸山へは最初、笹腹を緩く上り下りする道が続く。一部では笹が背丈ほどもあって勢いがよく、笹の跳ね返りが後続の同行者に当たってしまった。このあたりの笹は、奥多摩などと比べてまだ元気なようだ。
やがて岩峰を真正面に見据えるところまで来た。斜面をへつっていくと最初の岩場で、ロープがつけられていた。ここは何とか通過して、いったん小ピークに登る。花の終わったシャクナゲが一面に生えるヤセ尾根を行くと、次はいよいよ鋸山本体への登りとなる。
途中でロープの連続する急なガレ場となり、厳しさが増す。土の道は濡れておりスリップが恐い。イワカガミ、コミヤマハンショウヅルが咲いていたが登りがしんどかった。最後のガレを越えると穏やかとなり、少し先で鋸山山頂となった。
西の群馬側は広大な山稜が見渡せるが、それ以外の方角はガスで隠されていた。皇海山もやはり雲の中。庚申山方面に足を踏み入れると、六林班峠方面への笹の稜線が見下ろせた。どうやらここから先は穏やかで快適な登山道になっていそうである。
展望もないので下ることにする。ガレ場の急坂は下りのほうがやはり緊張する。足場を慎重に見極め、一歩一歩下っていく。笹原の稜線に下り立ったときはホッとした。
不動沢のコルに戻ると、今度は大阪の人が皇海山から下山してきた。さすが百名山は全国区である。
皇海橋までは、膝に軽い痛みを抱えながら、ストックを使って下った。同行者もかなり足にきている様子。皇海山のルートの中では最短であっても、他の山の登山コースと比べれば長い、歩きがいのある1日コースだった。
皇海橋に着く。帰路も行きと同じ根利林道にした。山を歩くのと同じで、登ってきたのと同じ道で下ればより安全性が増す。
車を少し走らせるとクリンソウが咲いていたので、車を出て写真に納める。その先で角の生えた鹿、そして何と熊が車の前を横断していった。さっきクリンソウの写真を撮っていたときに出てきたら、と思うと恐ろしかった。
皇海山の群馬側の山稜は普段人の入らないだだっ広いエリアであり、まさに野生動物の天国なのだろう。何が出てきても不思議ではない気がする。そんな原始性の富んだ山に、その群馬側から登ったことはある意味貴重な体験であった。
根利集落から沼田側に少し走ったところの「しゃくなげの湯」で汗を流してから帰京する。