~深秋の似合う歴史ある峠道~ しみずとうげ(1448m) 2003年10月18日(土)晴れ後曇り 7:58上越新幹線・越後湯沢駅-[上越線]-8:15塩沢駅-[タクシー]-8:55追分9:00-9:15十五里尾根分岐-9:55最初の鉄塔10:05-10:50B38号鉄塔11:00-(冬路ノ頭付近30分)-12:15清水峠13:00-14:20登川本谷14:25-14:40兎平-15:30十五里尾根分岐-15:50追分15:55-16:30清水集落16:50-[タクシー]-17:20塩沢駅17:34-[上越線]-17:51越後湯沢駅 歩行時間:6時間25分 |
●居坪坂を下る それにしても広大なチシマザサの原である。今までの登りの行程からガラリと変わり、別世界に飛び込んで来たようだ。 開けた峠と一言に言っても、何か独特の雰囲気がある。トンネルも鉄道もない明治の頃、この峠は越後から上州に抜けるための要所であった。昔人は、苦労して謙信尾根を登り、眼下に広がる上州の眺めを前にして、どういう感慨にふけったのだろうか。そんな思いをはせる、どこか寂しさの感じられる場所である。 清水峠~冬路ノ頭の間にも鉄塔が建っている。普段なら目障りな鉄塔も、この広大な笹の原に建っていると単なる人工の建造物でなく、一種のモニュメントのように見えてくる。不思議と場違いな印象は無く、ずっと昔からそこに建っているようにも思える。 峠の白崩避難小屋はJR東日本の建てたもので、もうかなり年月が経っているにもかかわらずきれいに利用されているようだ。定期的な手入れもされているのだろう。
にわかに雲が出て来て、いつの間にか周囲の峰々のてっぺん付近はいずれも隠され始めてきている。 今日は峠越えをせず、やはり越後側の道である居坪坂を下る。この道は峠の巡視小屋建築のための荷揚げ道(馬道)として利用されたそうである。そのため急なところがなく、少々長いがとても歩きやすい。下部の樹林の道も地味ではあるが、明るい紅葉の林相は心地よい下りを演出してくれる。 何箇所か渡渉があり、増水してさえなければ、しっかりと足を運べば問題ない。 大きな河原を越えしばらく行くと工事用のテントが張られていて、中からおじさんが一人出てきた。工事関係の人で、上で道路建設中とのこと。無線で工事を一時中断してもらってから通行する。 この上のほうはたしか、廃道となっている旧国道があるので、それを復活させるための工事なのかもしれない。居坪坂登山道の上に車道が出来ることになるのだろうか。 以降はほぼ平坦な歩きやすい道。数箇所河原に下りる場所を過ぎ、幅広となった道をたんたんと進むと、朝分かれた十五里尾根分岐に出た。相変わらずダンプが道幅一杯に行き来している中、追分に戻る。車が数台停まっている。
●林道を歩き清水集落へ 谷あいで携帯電話は通じないので、清水集落まで林道を下る。45分ほどの下りだ。 最後に林道歩きとなるのは、良くも悪くも車を持たない自分の山登りのパターンだった。しかし最近この林道歩きをあまりしていない。今日登った山をじっくりと振り返るいい時間なのである。 もう少しで清水集落というところで、山のほうから車が一台やって来た。国道291号が通行可能な車道と思い、土合(群馬側)まで抜けるつもりで上ってみたそうだ。 道路地図を見ても、かなり標高の高い所まで国道の表示があるので勘違いして通り抜けようとする人が多いのかもしれない。清水集落に着くまでの数分だけ車に乗せてもらった。 日も傾き、周囲の紅葉の山肌もシルエットで眺められるだけになった。清水集落は静かで眺めのよい山村だ。清水峠と同じようなゆったりした時の流れを感じる。 谷川連峰を中心とした上越の峰々は、クライマーや観光客で賑わう群馬側と、昔ながらの静かな雰囲気の新潟側、「巨大な壁」を隔てて2つの異なった顔が存在している。今でこそ清水トンネルによって文化の交流はは達成されたが、昔の新潟側は川端康成の著にもあるように、雪に閉ざされ隔絶された地域だった。清水集落は今もなおその雰囲気を残していて、どこか懐かしさの感じられる場所に映った。 巻機山の登山口でもあるこの地に、いずれ宿をとってじっくりと登山をしてみたいものだ。 |