-奥只見の奥山は静かな自然郷- みじょうがたけ(1553m) 2009年6月20日(土) 晴れ時々曇り |
ブナ林を登り、やがて1204mと書かれた地点。このあたりは左(北側)の谷深く見下ろせる。 目の上の1500mの壁はまだまだ遠く、高い。しかし、その手前に見える小ピークには、少々の頑張りで登れそうだ。さらにその小ピークに着いてしまえば、山頂まではおそらくそれほどの時間はかからないだろうと想像する。従って、三段論法で言えば、ここから山頂はもう近いということになる。 やがて潅木の尾根に入り、芽吹き程度の木々が多くなる。 足元には春の花がたくさん見られるようになった。イワウチワ、オオイワカガミ、ショウジョウバカマ。カタクリの咲き残りまである。南関東の山で3ヶ月くらい前に見ていた光景だ。 さらにタムシバ、オオカメノキの白花。そしてムラサキヤシオが、まるで作ったような濃い紫色をしている。花の道はそう長く続くことはないが、それぞれの色鮮やかさが強く印象に残った。
岩場を斜上する部分も出て、周囲はますます展望の尾根になる。残雪もあちこちで見られる。 体力的にはもう限界近くまできたが、山頂までもう少し。ネマガリダケと低潅木をくぐると、待望の未丈ヶ岳頂上に着いた。 シャクナゲの咲く頂上はそう広くない。頂上少し下にある、ネマガリダケの中のわずかな踏み跡をくぐると、残雪の広い斜面に出た。広い展望である。 目の前には只見川を隔てておそらく会津朝日岳、丸山岳、三ツ岩岳、会津駒ヶ岳の稜線が見えているのだろう。さらに左手には浅草岳、毛猛山、奥には守門岳。これらの多くは1回ずつだが登ったことがあり、懐かしく感じられる。どれも歩きがいのあった思い出深い山ばかりだ。 雪田の脇に草地がありそこで大休止をとる。雪の解けた場所にピンク色の花が密集して咲いており、近づいてみたらショウジョウバカマだった。 また、只見川の方角には、尾根に沿って1本の道が通じているように見える。これは昔、湯之谷村の人たちが只見に向かう際に、この未丈ヶ岳を越えて歩いた道らしい。今は荒れてしまって道形はとどめていない(歩けるとすれば残雪期か)が、かつては山菜採りや狩猟にも利用された、生活の道だったということだ。 それにしても、生活の為にこの未丈ヶ岳という奥山を越えていくとはすごい。昔の人の健脚さがよくわかった。
会津の山や豊富な残雪を見ながら、久しぶりに1時間以上、山の上でのんびりと過ごした。 登りに4時間近くかかる山は、下りも大仕事である。今日は登りで相当な体力を使ってしまっていて、こういうときは下山時に、疲労からくる不慮の事故が恐い。特に最後の沢沿いの道は要注意であり、最後まで気の抜けない下山路となった。 岩場付近でシラネアオイやキスミレを見る。登りの時には気づかなかった。 もう1組、登ってくる3人とすれ違う。この時間に登っている人は、下山はおそらく5時くらいになるだろう。日の長い季節にだけ許されるパターンである。 この未丈ヶ岳は出来る限り早い時間からの登山開始が望まれる。それだけ奥深い山なのだ。 高度を落としていくと気温がどんどん上がってくる。1500mぽっちでも、頂上部は雪もあったせいかかなり涼しい地だった。 ブレーキのきかなくなりつつある足を必死に踏ん張り、急坂のヤセ尾根を着実に下っていく。長い長い尾根道を下り通し、急下降ののちにようやく三ツ又登山口に着いた。 ふんどしを締めなおして沢の渡り返しに備える。釣りをしていたと思われる3人組に出会った。この人たちはいったん沢に下りると、そのまま沢の中を歩いていった。ゴム長靴がうらやましく感じる。 こちらは行きと同様に、岩場の登下降とヘツリ道を素直に辿っていくしかない。
それでも、30分ほどの歩きで沢から解放され、車のある泣沢口まで戻ってこれた。密度の濃い、充実しきった1日だった。 折立温泉に寄ってから小出駅に戻ることにする。温泉の体重計に乗ったら、いつもより3キロも減っていた。 湯之谷地区は青々とした田圃の眺めが広がっていた。越後の山歩きは、下山後にこのようなのどかな風景を見ることが出来るのも魅力のひとつになっている。 翌日、天気がよければ唐松山に登る予定で、小出駅前のビジネスホテルに泊まった。しかし朝起きるとすでに強い雨降りとなっていたので、あっさりと諦めて、そのまま帰京することにした。 実のところは、未丈ヶ岳の登り下りだけで体力的にはいっぱいだったので、雨で少々ホッとしたりもした。登山者の心理というのは勝手というか、不思議なものである。 朝、まだガラガラの関越で東京に戻る。上越国境付近では天候は回復してきたが、東京に近づくにつれ再び雨模様となった。梅雨本番である。 |