-越後三山の展望台-
タイトル
宝泉寺-大力山-板木城址-送電線尾根-宝泉寺
山域 越後(中越)
地域 新潟県
標高 大力山(504m)、505m三角点、板木城址(367m)
山行日 2010年4月25日(日) 天気
沿面距離 7.8km
歩行時間 4時間30分
標高差 369m(宝泉寺-505m三角点)
宿泊 -
温泉 -
交通 マイカー Home


行程
2010年4月25日(日)前夜発、翌日帰

自動車 練馬IC 22:05
関越自動車道
赤城PA泊
7:13 自動車 小出IC
国道291号
7:25 宝泉寺 7:45
8:05 稜線
9:00 大力山 9:25
9:35 尾根分岐
9:55 505m三角点
10:17 尾根分岐
11:00 山越峠分岐
11:10 送電線尾根分岐
11:20 湯谷城址
11:35 板木城址 12:15
12:38 送電線尾根分岐 12:40
12:50 鉄塔
13:00 四等三角点
13:15 下山口(農道)
13:30 宝泉寺
自動車 御嶽山登山口へ


関連リンク
魚沼市
魚沼市観光協会
にいがたライブカメラ


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新潟の山は、土のにおいがする。谷川岳を群馬県の天神平から登り、往復せずに土樽側に下る。あるいは北アルプスの白馬岳から新潟県側の朝日岳へ縦走するなど、他の県から縦走してみるとよくわかる。
いつの間にか、山を歩くことに集中している自分がいることに気づくだろう。山というものの存在の大きさを感じるだろう。においだけではない、五感全てが研ぎ澄まされていく感じがする。


板木城址への稜線から越後三山を望む

そんな新潟県の山にはまりつつある。と言うか、ずっと前からはまっていたのだが、距離の遠さと、日本海側の不安定な気候が足を遠のかせていた。

巻機山などで利用したムーンライトえちごは、季節便となってしまい事実上の廃線である。新幹線はコストパフォーマンス的につらい。

車で出かけるようになって、新潟の山は近くなった。
前月行った雪割草の山、これは日本海に近く比較的雪の少ない地である。厳冬期の新潟県中越・米どころ魚沼地方の低山にも登ってみたく、坂戸山や小出町の山を狙っていたのだが、今年の冬は機会を逸した。

谷川連峰
宝泉寺
背後に広がる展望
八海山
大力山頂上

とにかく、高尾山などの東京周辺の同標高の山とは、自然条件も雰囲気も異なる。低い山でも春先はまだ1mくらいの残雪がある。かといって春が遅いかと思うとそうでもない。雪割草でわかるように、山に花が咲く時期は東京も新潟も同じか、かえって新潟のほうが早かったりする。新緑も4月中には始まっている。
ただし今回出かけた4月下旬は微妙な時期で、春の遅い今年は基本的に残雪の山のようである。山の様子は新潟県のライブカメラで確認できる。

赤城PAで車中泊し、翌朝関越トンネルをくぐる。新潟県側は、山の斜面にまだ雪が残る。谷川連峰は真っ白だが、「上越のマッターホルン」大源太山は黒い部分がかなり出ている。

小出ICで一般道に下り、国道沿いに少し走ればすぐに、大力山や鳴倉山が目の前である。小出周辺の低山はICから近いので、東京からのアクセスもドアツードア感覚で行ける。車なら前日出発でなくてもいいかもしれない。
広大な田畑を見ながら、細い道をたどる。屋根の丸い穀物庫を見ると、豪雪の地魚沼地方に来たことを実感させられる。
すぐ先が大力山登山口のある宝泉寺。小さな寺で、敷地にはまだ多くの雪が残っていて車を停められるところがあまりない。あまり奥に入らずに、杉の大木の下に駐車する。

登り口はすぐ近くにあり、指導標と案内板が立つ。登り出すとすぐに、ショウジョウバカマのピンク色の花がいくつも目に入る。初めのうちは樹林帯で、木の名前が記されたプレートがかけられていたりする。このあたりですでに残雪が目立ちはじめる。いったん開けた台地に上がると、正面に大力山の山体が望めた。

低潅木の緩やかな尾根道となる。雪国の山はこういう低いところでの潅木帯が多く、最初から眺めがいい。
木々はまだ芽吹いていないが、マンサクが盛りである。東京の山では1ヶ月ほど前に見られた、黄色い樹の花である。さらに道脇にはイワウチワも見られる。さらに咲いたばかりのカタクリも。
腰を下ろして撮影していると、尾根の下のほうでドサドサッという音がして震え上がる。初めはクマに間違いないと思ったが、その後何度も同じような物音を耳にする。結局、雪が溶けて谷に落ちていく音だとわかった。

越後三山
尾根道も残雪豊富
中ノ岳
巻機山

沢コースの分岐に着く。そちらはまだ多量の雪。尾根側に進むが、こっちもやがて一面が雪の上を登ることになる。
潅木帯が遠ざかり、広い尾根道が伸びる。背後には魚沼の平野と残雪輝く山々。遠望される白き2つの峰は黒姫山と米山のようだ。春の日差しも勢いが増し、サングラスを車に置いて来たことに気づく。

やがて前方に真っ白な三角の高峰が見えてきた。待ちに待った越後三山のパノラマである。越後駒ヶ岳、そして中ノ岳。手前に大きなしかめっ面は八海山だ。
あずまやの立つ大力山頂上に到着する。360度の眺めが素晴らしい。今まさに雪解けの越後の山々。越後三山などの高峰はまだ真っ白だ。
大力山から南方の尾根筋は雪の稜線になっていて、気持ちのよい尾根歩きが出来そうだ。そして越後平野が眼下に広がる。麓は静かな山村なので聞こえてくる音も少ない。静かな山頂に一人、しばし展望を楽しむ。

ここからはしばらく、アイゼンを使って歩くことにする。八海山を正面に見ながら、広い斜面を下る。このあたりでもマンサクが咲いている。2人連れが登ってきた。
指導標の立つ鞍部(尾根分岐)に到着する。右折し板木城址に向かう予定だが、ちょっと寄り道して左の尾根を少し登ってみる。黒禿ノ頭という700m峰に至る道で、大力山からもそのピークがよく見えた。しかし自分の持ってきた地形図のコピーには、印刷範囲外で載っていない。もう少し右のほうも印刷してくればよかった。
手持ちの地図に描かれていない山には登るわけにはいかないので、印刷されている三角点まで足を伸ばすにとどめた。
尾根を緩く上下する。右手は杉林となるが、開けた場所からは八海山がさらに大きい。足元のイワウチワを見ながら、505m三角点まで行く。大力山と1mしか違わないが、ここから先は雪も多くなりそうだ。

カタクリ
カタクリ
ショウジョウバカマ
干溝集落へ

分岐まで戻り、そのまま直進し、急坂を下る。ここから板木城址までは、標高350m~400mくらいの低い尾根歩きとなる。大力山に登るならここを歩いてみたかった。板木城址より先にも道は伸び、テレビ塔を経て八色(やいろ)駅まで下れる。
下りで雪が少なくなってきたのでアイゼンを外す。しかし平坦な所になるとまだ、一面が白い。こんな低い尾根でも残雪が豊富で、さすが魚沼の山だ。
雪が溶けた潅木の根元にはイワウチワやショウジョウバカマが群落を作っている。この地域のイワウチワは、南関東・甲信の山で見られるものより、葉も花も一回り大きい。イワカガミも、雪国で見られるものは葉が大きく「オオイワカガミ」と呼ばれているのだが、イワウチワのほうはオオイワウチワという分類はないのだろうか。

やがて、山越峠分岐に着く。干溝方面への踏み跡があるが薄い。道はこのあたりから細かなアップダウンを交えるようになり、急斜面にはロープも設置されている。
登り返すと開けた台地に出た(送電線尾根分岐)。ここにも右手に登山道が伸びてい板木方面から伸びる送電線と交差している。導標には「セン(クサカンムリに津)沢口・田ノ入口に至る」とあり、これを行けば国道を経て宝泉寺に下れる。
反対側から中高年のグループがやってきた。テレビ塔から来たと言う。長靴の人が多いので、地元のグループだろう。振り返ると素晴らしい眺め。越後三山が大きな姿を見せていた。

以後、下っては登りを何回も繰り返す。すぐに湯谷城址。戦国時代に築かれた城郭は、敵の侵入を防ぐために地形の複雑な場所に立てられることが多い。あるいは、わざと周囲に段差を作ることもある。
武田氏の城跡である要害山(山梨県甲府市)にも似たような地形があったが、ここ大力山ほど険しいものではなかった。

時々行き交う地元の人も、何度も出てくる急坂に苦労しているようだ。さらに下って登って、もう1本の下山路が分岐する。「八色線No.32 松ヶ沢→板木」と書かれている。右手には国道と関越自動車道。今歩いている尾根は両道の上を通る。朝車でやって来たときに、この尾根をトンネルでくぐったことになる。
左手には八海山の後ろに巻機山の真っ白な稜線も覗くようになった。

右から回り込むように上がった場所が板木城址だった。大きな松の木越しに八海山が大きい。周囲にはカタクリがたくさん咲いている。歩く足元にもカタクリの葉が伸びているので、注意して腰を下ろす場所を探す。
今日はここで引き返すが、休憩地としてはとてもいい場所だ。

湯谷城址の先の台地まで戻り、セン沢・田ノ入口の下山路に入る。この尾根は魚沼の田園地帯に埋没するように伸びていて、眺めもよく楽しい。鉄塔基部を過ぎる。雪も少なくなり足がはかどる。右手に国道に下りる道があったが、そのまま尾根を行く。
前後して四等三角点、また田ノ入口への下山路も見送り、尾根末端を目指す。ヤブが深くなるが、眼下の田畑や国道もすぐ底に見えている。このまま一気に下りきる。
最後はグズグズの急斜面を苦労して下り、農道に下り立つ。用水路には雪解け水が豊富に流れ、脇にはツクシが伸びていた。宝泉寺へは15分ほどの距離だった。
残雪を踏み、越後三山を見て、春の花を堪能できた、極上の低山周遊となった。