上野原駅からバスに乗り、新井で下車する。左に下り気味に歩いていくと、霜の降りた畑と民家の向こうに特徴のある形の山が見えてきた。要害山という山で、丸いお椀型のてっぺんに木が一本突き出ている。この「おっぱい山」が本日最初に目指す頂となる。
上野原駅の北に、標高500m前後の低い山がたくさん連なっており、これらは市が発行したトレッキングマップのパンフレットで詳しく紹介されている。以前、上野原駅に置いてあったものを入手していた。
ひとつだけなら1、2時間で登り降りできてしまうような山ばかりなので、今日はこれらを全部まとめて歩いてしまうつもりである。
今日のコースは随所で富士山の展望にあずかれる。要害山西の風の神から
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【要害山から尾続山へ】
鏡渡橋バス停の横に要害山を示す標識があり、それに従い民家の間につけられた舗装道路を登っていく。高台に出ると冬日に照らされた上野原の街並みが一望できた。
要害山登山口の山ノ神神社でお参りしてから入山する。「秋葉神社大権現」の標識が山頂方向を示している。小さな小屋の横を通って、植林帯と雑木林の間に付けられた登山道を急登していく。
背後の眺めが再び開けると、あっけなく社とベンチのある要害山山頂に着いた。さっき下から見上げていた大木がすでに目の前にある。
そして展望がすばらしい。桂川と中央自動車道を隔てて中央線沿線や御坂、前道志の山々がずらりと並び、大室山・蛭ヶ岳など丹沢の山も大きい。そしてそれらの中央には白銀の富士山が燦然と輝く。
案内板によると、この要害山は大倉砦(とりで)と呼ぶとのことだ。周りより一段高い所が小広い平坦地になっていて、見るからに城郭として作られた地形である。小広い平坦地と言っても、よく時代劇で見るような大きなお城が建つような広さはなく、せいぜい3LDKくらいの戸建て住宅が建てられるくらいだ。
この山城は人が定住するようなものではなく、戦火が上がると将軍勢が山に上がって立て篭る、というような使われ方がされていたのだろう。
今日の行程は長いので、先に進む。緩く下っていくとヒノキの植林帯に入り、鞍部は峠となっていた。登下地区と大倉地区から道が上がってきている。再び開けた稜線に出るとヤセ尾根となり、小ピークを越えたところの風の神では要害山以上の好展望が得られた。正面には権現山や扇山が高く、堂々としている。
右折して急坂を下ると再び植林下の静かな道へ。尾根が広がって方向感がつかみにくいところも出てくるが、上野原市のパンフレットで紹介されているコースであるが故、指導標は随所に立っていて迷うことはない。
風の神のピークから眺めたときは、このあたり紅葉した木が多そうに見えたのだが登山道は植林の中につけられ、色づいた林を歩くことにはならなかった。
さしたる登りもないまま、着いたコヤシロ山は雑木の山だった。ただし富士山方向だけが樹林が切られていて展望が得られる。山の雰囲気は悪くない。十文字峠を経て用竹や権現山方面に通じるルートが分岐しており、昔は人の往来があったのかもしれない。
このあたりから「八重山トレ」と書かれたプレートが立っているのを見かけるようになる。ここから能岳~八重山まで、「八重山トレイルレース」のルートの一部となっていた。
コヤシロ山からも基本的にはヒノキ、杉の人工林の尾根道が続く。外側に真っ赤に紅葉したカエデも見られるが、歩いている場所からは遠い。次のピークは実成(みなり)山で、今までのような切り開きはなく樹林の中の山頂である。雑木林は紅葉には早く、少し当てが外れた。
要害山から先、標高400~500mが中心の尾根道は意外と紅葉は進んでおらず、まだ緑が優勢である。早く紅葉するカエデやツツジが少なく、色づきの遅いナラ系の木が多いこともあるのだろう。ひょっとしたらこのあたりは、12月中旬でも紅葉が見られるかもしれない。
なおも尾根道を歩いていくと正面が大きく開け、上野原市や藤野方面がよく見える展望地に出た。日差しが意外なほど暖かく、こういうのを小春日和というのだろう。ここで今日初めての大休止とする。
なお、富士山方向の樹林がここも伐採されていた。今日のルートは要害山以降、随所で展望が得られるがほとんどが富士山方向の樹林を伐採したことによるものだ。元は何の変哲も展望もないヤブ山だったのだろう。
少し高度を落とすと尾続山に着く。今日初めて登山者と会う。その人から「これから聖武連山、八重山と登られるんですか?」と見事に言い当てられてしまった。このまま下山して帰るにはまだ時間が早過ぎるので、そのように推理されたのだろう。
早発ちしてこれらの山を全部回るという今回の自分の計画は珍しいことではないようで、ネットを検索すると意外と多くの人がやっていることに気づく。
なお、尾続山山頂にも富士山方向に伐採が入っていた。富士山展望のハイキングコースとして売り出しているとは言え、やはり不自然な感じは否めない。むしろ、ところどころで見られる落葉樹の雑木林では4月の早い時期で新緑が見られることを、コースの魅力として打ち出してもいいように思える。
下山に入る。今日1回目の下山である。次の展望地から見下ろす麓の家並みはまだずっと下にあり、尾続バス停まで本当にコースタイムの20分で下れるのかと疑問に思ったが、実際は15分で国道に下り立った。急坂や難所のない、歩きやすい尾根道がずっと続いていた。
尾続バス停の前からは、次に登る聖武連(しょうむれ)山が正面に鎮座していた。
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【聖武連山へ】
尾続バス停から北に数十メートル歩き、「聖武連橋」の標識に従い右手の小道に入る。標識には「夢吊橋」とも書かれていた。民家の裏道をたどって川岸まで、けっこう下る。橋は小さく、袂からは聖武連山の山頂が見上げられた。
この聖武連橋はつい先月完成したものだ。古い木造の橋が老朽化のため長い間使われずに放置されていて、ようやく今回新しい橋が開通したという。
上野原地区は鶴川を境にして東西に分断されている。地図上ではそれほど離れていないように見えるが、国道と川の標高差が大きく、特にこの尾続地区付近は橋がないため、対岸へ行き来するのにはかなりの遠回りとなるようだ。「夢の吊橋」という名もそうした地元の長年の願いが叶ったということだろうか。今回のように上野原の里山をはしごして登るのにも、この橋は有効に使える。
橋を渡り川から離れる前に、うなぎ淵なる観光スポットの入口があった。近くにイワタバコ群生地もあるようだ。聖武連橋は観光用の遊歩道としての役割もありそうだ。
大きな門構えの民家を見ながら県道に上がる。正面に木ケヤキの大木があり、その後ろに踏み跡が伸びていたが、一般の登山口ではなさそう。右に30メートルほど歩くと、聖武連山東コース登山口があった。
この山はのっけから急登である。しかもややヤブっぽい。上野原市のトレッキングマップには登山道の線が描かれているものの、あまり多くの人が歩く山ではなさそうで、エアリアマップにもまだ赤線表示はない。踏み跡はついている。
道は次第に緩やかになり、左からはっきりしない踏み跡を合わせる。おそらく大ケヤキの後ろから伸びていた踏み跡だろう。雑木と植林の林を交えもうひと登りするといきなり電信柱が現れた。国有地を示す柵で囲われたエリアの先が聖武連山の山頂だった。
草地の山頂はアンテナ設備が大きく占めているものの、南西方面を中心に展望が素晴らしい。アンテナの立つ場所なので伐採は大きく入っていても仕方のないところだが、不自然な刈られ方ではなく富士山も自然な感じでよく見える。さっき歩いてきた要害山から尾続山への稜線も手に取るようだ。
聖武連というのはやはり仏教用語なのだろうか、他の山と峰続きになってもいない小さな独立峰は、展望もあって登っても損はない山である。
下山は西コースを取る。こんな小さな山なのにルートが2つあり、しかもバリエーションルートまで用意されていた。西コースは大半がヒノキの植林内を歩くものであり、少々味気ない。西コース登山口に下りる手前で、大きなカエデの紅葉を見ることができた。
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【能岳・八重山へ】
下りた車道をそのまま歩き、取り付き点の東コース登山口まで戻る。さらに車道を歩き続けて隣りの能岳・八重山ハイキングコースの登山口に至る。
このコースは今回歩く中で唯一、一般登山道としてエアリアマップに赤線が引かれている。それだけあって道は整備され歩きやすい。ただ今回は紅葉を求めて、登山道を外れ尾根通しに登ってみることにした。
適当なところで登山道右手に伸びる尾根筋に乗る。急なところはそうないのだが、あまり歩かれているふうではないヤブ尾根である。市町村界の見出標こそあるものの、踏み跡はほとんどない。
傾斜のないところを暫く歩くがヤブは尽きず、体にバシバシ当たる。紅葉も目を見張るものがないので、適当なところで登山道に戻ることにした。
能岳山頂からの主尾根に出るとようやく植林から脱し、明るい雰囲気となった。まだ緑の葉が多いが爽快な尾根歩きが続く。左(東)側から人の声が聞こえたと思ったら、すぐ下にゴルフ場のグリーンが見えた。能岳・八重山はゴルフ場を背にした山である。
しばらく歩いた後、能岳に着く。ベンチとテーブルががあるので昼食休憩とした。
ここからも富士山がよく見える。今日何度か見た富士山はどれもほとんど同じ角度からのもので、見え方がみないっしょなのでさすがに飽きてきた。まあ、どれも標高500数十mと似通っているのでそれもしょうがないだろう。一日中見続けられているだけでも貴重なことである。
トレッキングガイドを見ていたら、八重山から下山した後にも尾根道があり、日大明誠高校の裏手まで歩けることに気がついた。青春TVドラマ「飛び出せ!青春」の舞台となっていた太陽学園が、この日大明誠高の校舎なのである。尾根上の根本山が高校の裏山となっている。
太陽学園の円筒形の校舎が懐かしく、ぜひ近くで見てみたいので、物好きとは思うが行ってみることにした。今日はとことん歩くつもりであり、八重山から下山後も上野原駅まで歩いていく予定だったので、どうせなら山道を歩く割合が増えたほうがいい。
能岳山頂から先は、今までで一番明るい稜線歩きとなる。八重山周辺は登山道というよりも遊歩道に近い印象が強く、誰でも気軽に登れるような整備のされ方をしている。
着いた八重山山頂にはあずまやがあり、木や花についてなどの説明板が立っている、指導標もこれまでのものとは違いずいぶん詳細な案内となった。あずまやからの展望は素晴らしく、ここで大休止すればよかったと思う。
八重山からは木の階段で下る。カエデが見事に赤々と紅葉しており、場所によっては紅葉のトンネルになっている。このカエデはおそらく植栽であろうが、今日はルートを通して紅葉が遅れていた印象だったので、ここで一気に取り戻した。やはりコナラなどナラ系の木に比べカエデは早く紅葉する。
尾根道はさらにこの先の展望台まで続いている。今日のコースの中でも一番爽快なところだ。
途中にあった石碑によると、この山は水越八重さんという方が自治体に寄贈したものということだ。戦前のことではあるが、自分の土地である山を寄贈するなんて、すごいことだと思う。
尾根の肩にある八重山展望台は高度感があり、眺めも胸のすくようなものである。東京から近いところにこんないい展望台があったのか、今まで知らなかったのが残念である。
この八重山の園地一帯は「八重山五感の森」と名がついており、展望台の横には鐘がある。展望台の下は展示スペースを兼ねた倉庫になっていた。
上野原中学校のある登山口へ下山する。3時を過ぎ早や日が傾き始め、山の稜線にかかるようになった。ちょっと前まで「まだ3時」だったのが、季節は進み「もう3時」にいつの間にか変わっている。
車道に下り立ったところに上野原中学校が建っており、これは八重山展望台からもよく見えていた。もうこのへんは普通の住宅街である。
このまま県道に下ることもできるが、さっき決めた通り、今日は延長戦である、すぐに「根本山・秋葉山 上野原遊歩道」と書かれた指導標に従い、横の道に入る。
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【秋葉山・根本山から上野原駅へ】
秋葉山への登り口は墓地だった。ちょっと気がひける登りだったが、林に入ってひと登りで、あっという間にもう秋葉山山頂である。あっけなかったが山頂には三角点があり、反対側の佐野川~陣馬方面の住宅街が見えた。
この道は上野原遊歩道という名前のようで、ガイドマップだと白ヌキの線で表されていたので舗装道路なのかと思ったが、未舗装だった。ただ登山道というより林道といったほうがよく、軽自動車くらいは走れそうな幅広の道である。途中で左右の県道へ下る分岐が何本もあり、よく注意していないと下ってしまう。
「明誠高」と書かれた分岐を見た後、さらに尾根を直進していくと右手にその明誠高校の校庭が見えてきた。ちょっと駆け下りれば下れてしまいそうな、もう目と鼻の先である。
あずまやのある根本山はそこから10分ほどで着いた。まさに学校の裏山だが思いがけず眺めがよく、半ばシルエットと化した中央線沿線や御坂の山の稜線が、夕映えの空にくっきりと線を引いていた。
根本山からも下山できるが、校舎を近くで見てみたいので、さっきの分岐まで戻り高校の脇の道を下る。5分足らずで明誠高校の横に出た。今日は何か行事でもあったのか、駐車場に車がたくさん停まり、生徒や先生の姿も見えた。
TVドラマ「飛び出せ!青春」は毎週欠かさず見ていた。こんなところでロケをやっていたのである。明誠高校とは直接何のつながりもないが、多感な少年時代の自分を思い出す。
そのまま舗装道路を歩き、バス通りに出た。「日大明誠高校入口」バス停の横に酒まんじゅうの店があったので、おみやげに買っていく。上野原の名物である。
携帯のGPS地図を見ながら上野原駅まで歩いていく。もう日も落ち一気に暗くなってきた。
今日は上野原市の低山をそれこそ舐めるように、ぐるっと一回りでき、充実した1日になった。8時間で9座。最初に登った要害山がすでに懐かしく感じられるような、変な気分である。「近場にいい里山あり」である。