~大月市を見守る武田家終焉の山~ いわどのさん(634m) 2004年11月12日(金)曇り 13:25中央線大月駅-13:45丸山公園13:50-14:10岩殿山14:35-14:55築坂峠-15:25天神山-15:40稚児落し15:55-16:15浅利車道出合16:30-[タクシー]-16:50金山鉱泉山口館(泊) 歩行時間:2時間05分 |
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都心も朝方は冷えるようになってきた。そろそろ、東京周辺の展望のいい低山巡りが楽しい時期になる。 週末は前日温泉泊で、大菩薩山塊の雁ガ腹摺山に登ることにした。 翌日の雁ガ腹摺山へ 金曜日は朝から雨が降るなど天気が悪い予想だったので、次の日に向けて宿に入るだけの予定にしていた。 中央線が山梨県に入ると、陽射しがのぞくなど天気が上向きになってきた。もう12時を回ってしまったが、小さい山なら今日のうちに登れる。こういうときアプローチのたやすい中央線沿線の山は有利だ。 それならと目の前にある岩殿山に登ることに決めた。
岩殿山は武将武田家の城跡であり、山姿そのものが要塞のようで興味をひく。城にするくらいだから眺めもいい。 大月駅から商店街を通り踏切を渡る。市街地のすぐ後ろに岩殿山がそそり立ち迫力がある。 東京電力、税務署の横を通って国道に出る。橋を渡ればすぐに登山口、というか公園の入口である。岩殿山は山全体が丸山公園として整備されている。 砂利道を登り出すとワイシャツ姿の会社員が、コンビニ袋を持って降りて来た。今日は平日、しかもお昼過ぎの時間だ。この山は、付近の働く人々の昼食や休憩の場ともなっているようだ。そんな山にザックを持って登ろうとするのも何か奇妙な感じである。
鳥居を過ぎてコンクリートの登り道となる。じきに丸山公園の中心部に登り上がる。 丸山公園には「ふれあいの館」という古風な城のような建物がある。子供が大勢走り回っている。銀杏が黄葉を地面に落としてきれいだ。建物のすぐ上には、岩殿山の岩壁が覆いかぶさるよう。 さらに階段状の登りを行く。けっこう急な所もあり、振り返ればすでに、大月市街地が眼下に広がっている。あいにくの曇り空のため富士山は見えないが、周囲の中央線沿線の山々の眺めは広い。 揚城戸(あげきど)跡を過ぎるともう山頂の展望台だ。南面はまさに胸をすくような眺め。高度感もあり相模川(桂川)の流れや中央自動車道を真上から見下ろせる。 本丸跡へは展望台から5分ほどの距離であるが、そこにはアンテナ設備がある。富士山が望めて桜の咲く時期に再訪したい頂である。 山頂往復だけなら1時間半ほどの山だが、やはり西方への縦走路を進むことにする。 揚城戸跡からさらに戻り、築坂方面への分岐に入る。雑木林の穏やかな道に変わる。やがて着いた築坂(つきさか)峠も南面の展望がある。峠からは南側に下りる道が付いているが、行き止まりで下りつけないとの噂も聞く。
さらに西進すると兜岩への登りとなる。林中を行く巻き道と、岩場を直登する道とに分かれるが直登道を選ぶ。 2本の鎖を伝っていくが、足場は豊富なのでそれほど苦労はしない。展望がいいので楽しい岩根の道だ。ただし左側が切れ落ちた、ちょっとスリルを味わう場所もある。 祠のある天神山(596m)のピークを過ぎる。周囲にはツツジの花が多く狂い咲きしている。これは暖秋の影響かもしれないが、最近では見慣れてきてしまって、特に珍しい光景でもないように思える。 やや薄暗い樹林帯を経て、再び岩壁の縁を歩くようになる。そのままL字状に曲がりきった所が稚児落し(ちごおとし)と呼ばれている所である。岩殿山以上に強烈な個性を放つ岩壁である。下を覗き込むのにはかなりの勇気がいる。 この山ならではの独特の展望を、岩の上で楽しむ。来し方を振り返ると、岩殿山と天神山の2つのピークが並んで頭をもたげている。
行程は短いが、予想以上に面白い登山道であった。この縦走路は、稚児落しを接点として明日歩く予定のセイメイバンからのコースと尾根続きになっている。いずれは両コースをつなげてみたいと思ったが、結局今回、それを実現してしまった。 浅利方面に下山する。時間が早ければ金山鉱泉まで歩きたかったが、もう夕闇が迫っていたのでタクシーを呼ぶ。 山口館への到着は17時近くとなった。沸かし湯の素朴な鉱泉だが、ほのかにお茶の香りがするいいお湯だった。 |