飯森山は、福島県喜多方市の北方に位置し、飯豊連峰と並行するようにその長大な稜線を形作っている。山麓には熱塩温泉や日中温泉があり、日中ダムが登山口となる。
飯森山は古飯豊とも呼ばれており、かつては山岳信仰の対象としての飯豊権現は、この飯森山にあった。その後現在の飯豊山に移されたわけだが、歴史的にも位置的にも、飯森山は飯豊連峰の兄弟分のような存在である。
奥深い山だが山中に宿泊施設はなく、コースタイムが10時間近くかかるため、県外からの登山者は前日に山麓に入っておくのが普通のようだ。今回は熱塩温泉に泊まり、翌日早朝から歩き出すことにする。
飯森山頂上付近から飯豊連峰を望む |
会津若松インターから国道を北上する。さすが喜多方、ラーメン屋の多い道である。道の駅とコンビニのある十字路を過ぎると静かな雰囲気の山里に入っていく。
熱塩温泉は観光客向けの大きな建物のホテルもあるが、奥まったところには昔ながらの静かな温泉宿が並んでおり、こじんまりした共同浴場もあった。
熱塩温泉のお湯は文字通り、熱くて塩辛いお湯が特徴である。ただ、口に含むと海のそばの温泉の塩辛さとは少し違う気がして、いつまでも残るというか、濃密な味がした。
お風呂に入っていると、長髪の男性が入ってきた。声をかけると、この旅館内の宴会場で毎日行われている芝居に出ている役者さんだった。芝居は午前中にあるので、早起き早立ちの登山者はみることができない。聞くと、夜はどの宿泊客も宴会になってしまうので、午前中に行っているとのことだった。
宿の前には足湯とお寺があり、民家の軒下にある箱に猫が住み着いていた。どことなく懐かしい、昭和の時代の風景である。
翌朝4時半に宿を出る。夜は相当冷え、車の窓が真っ白に曇っていた。
車で5分ほど上がると日中ダムで、周囲を山に囲まれた、かなり大きなロックフィル式の人工湖である。管理棟のある脇に駐車場があり、ここが登山のスタートとなる。すでに車が3台あり、やはり単独の男性が登山の準備をしていた。
ここには昨日のうちに、登山口の確認のために上がってきていたのだが、そのときに停まっていた車がまだあった。おそらく昨夜は車中泊だったのだろう。その車の主は、どうやら早くに出発したようである。
ダム湖の風が冷たいので、早々に出発する。駐車場から3分で鳥居のある登山口。もうひとりの単独の人は足が速そうなので先に行ってもらう。さあいよいよ、久しぶりの10時間山行となる。
のっけからむせ返るような樹林下の急登だ。前を行く人はダブルストックで足任せにどんどん登っていき、いつの間にか見えなくなった。傾斜が緩んだところが見晴というポイントだが、特に展望のいいところではなかった。ここで小さなペットボトルを草むらに置いていく。
しばらくはヒメコマツとブナの混合林の緩い登りが続く。林床にはギンリョウソウ、時折りヤマツツジの赤が目立つくらいの、濃緑の道である。まだ朝が早く、野鳥のさえずりさえも聞かれない。遠くの山でエゾハルゼミが鳴き出したがこちらの森はまだひっそりしている。
道が尾根の右(東)側に寄り始め、背後が明るくなったのを感じて振り向くとびっくり、連なる山並みの最奥に2つの鋭い頂・磐梯山と会津の平野にかかる大きな雲海が目の前に広がっていた。ここからまだ先は長いが、とりあえず尾根に乗ったことへのごほうびの展望であろう。
以後、一段高みに上がるごとに右手の樹林の切れ間から展望が得られる。日が高くなるにつれ気温も急上昇。鳥の声が聞こえるようになりセミのワンワンとした鳴き声に尾根が包まれはじめた。ブナの大木を見ながら登っていくと「薬師寺」と書かれたブリキの標識、その先で1173mと思われるピークを巻き気味に越えた。オオカメノキやタムシバの白花の群落が、この山でもよく見られる。
登山口からの標高差は、すでに山頂までの半分近くまで達しているが、周囲はまだ緑濃く、どこにでもある低山の雰囲気だ。
やがて道脇に残雪の塊を見る。地蔵峰への登りはブナの純林となって、だんだんと山が深くなっていくのを感じる。地蔵峰の標識は見逃したようで、遭難碑が道の真ん中に立っていた。距離的にもこの辺りで半分をこなした。
このまま穏やかな道が山頂まで続くはずはなく、右手が切れ落ちたガレ場を歩くようになる。アカモノ、イワカガミに続いてヒメサユリも見られた。今回は時期的に少し早いと思っていたが、やはりこの春の暖かさの影響だろう。ただしまだ咲き始めたばかりで、数は少ないが鮮やかなピンク色の花が多かった。
振り返ると地蔵峰の後ろに、さっきまでは雲海で隠されていた喜多方の町並みが広く見渡せた。一方、この山稜は飯豊連峰のすぐ東に沿うように伸びているにもかかわらず、西側は樹林が深くてなかなか飯豊を見ることができない。
残雪の斜面を下り、木々も根元が曲がった雪国特有のものを多く見るようになる。ミツバオウレンやムラサキヤシオが咲く中、登り着いたところが大倉ノ頭だった。ここで前方の眺めも開け、これから行く山稜を目の当たりにする。左右対称な三角形のピークは鉢伏山、その奥に飯森山の稜線も覗いているが、山頂はまだ見えていないようだ。奥深い山この上ない。
会津の山と言っても様々であり、2週前に登った大嵐山や荒海山といった南会津の山は、1つ1つがつつましやかで箱庭的な感じがあるが、少し北のほうにいくとスケールを感じる堀の深い山が多い。会津朝日岳や三岩岳など。
やがて、下山してくる男女の登山者とすれ違う。朝の単独者を除けば、この山で初めて会った人だ。駐車場にあった車中泊の車の人たちだろうか。
一旦ゆるく降下していくと樹林帯に戻り、高倉窪の鞍部に着く。喜多方市が設置した四角い標識は同じデザインで作り替えられていて、ここには「高倉窪キャンプ場」と書かれた古いものも残されていた。キャンプ場といっても1、2張りくらいしかテントは設営できない狭いところだ。
一直線の急登となり、再び樹林が切れて登り着いたところが鉢伏山頂上だった。ここは展望ほぼ360度で、ようやく飯豊連峰の姿が捉えられた。一昨年の同じ時期、新潟側のニ王子岳から眺めていたが、今回はその正反対から見る飯豊である。
ここからは他に朝日連峰や月山、吾妻山、安達太良山、磐梯山や遠くは尾瀬まで見渡すことができ、福島県やその周辺の数々の名峰が一度に見られる絶好の展望台であった。
樹林がなくなり陽射しが稜線を強く照らすようになると、小虫がたくさん飛び交うようになる。アブもしつこく登山者につきまとい、わずらわしい。今日は虫対策としてハッカ油を持ってきた。消毒用エタノールと水で薄め、小さなスプレーボトルに詰めてきている。市販の防虫スプレーでは撃退出来ないアブも、これはある程度の効果があった。ただ、どの山のアブにも効くのかはわからない。アブは地域によってその生態はずいぶん違う気がする。ただ、ハッカ油は香りが良く涼感もあり、つけると快適である。
鉢伏山からはかなり下り、雪渓歩きとなった。涼しくなってホッとするが、かなり高度を落としてしまうのでようやく視界に捉えた飯森山の山頂部がどんどん高くなっていく。
種蒔神社の祠は、おそらく雪の下と思われわからなかった。同じ名前が飯豊山にもあり、おそらくこの神社も飯森山から飯豊山に引っ越したものなのだろう。
最後の雪渓を登り詰めるとガレ場の登りとなる。大倉ノ頭~鉢伏山から先、この山稜は奥に行くにつれどんどん険しくなる。
雪の消えたところからは色の濃いカタクリがどんどん咲き始めていた。ハクサンチドリも、そして黄色い花はミヤマキンバイだろうか。
ここまで花が見られたなら、残りはあれしかないと思って登っていくとやはりあった。潅木や草に隠れるようにシラネアオイが薄紫の花をたくさんつけていた。
山頂を間近にして最後の急登はこたえるが、次から次へと現れる花に慰められて、ようやく山頂部の稜線に到達する。辿ってきたうねるような稜線がダイナミックに見下ろせ、磐梯山など福島の山々の眺めも素晴らしい。
山頂へはいくつかのアップダウンを越えていく。立て続けに下山する人と会う。下で見ていた車の数と、会った人の数とが一致した。
そしてついに、一等三角点のある飯森山山頂へたどり着いた。歩き出してから休憩時間を含め、5時間の登路だった。三角点の回りは潅木が伸び眺めは乏しいが、一段下がったところからは南面、西面含め広い展望が得られる。
山頂からさらに回り込むと、祠だけがある飯森山神社で、その先には沢コースが上がってきていた。サラサドウダン、ベニサラサドウダンが花をつけている。そしてここからは、飯森山と尾根続きの栂峰もよく見える。
とにかく長い道のりだった。ゆっくり腰を下ろして休憩するが、すぐに虫がまとわりついてくる。ザックもいっしょに全身にハッカ油をスプレーしてしのぐ。
下山路も長い。展望を目に焼き付けながら、ガレ場を慎重に下る。登ってくる人が一人いた。今日出会った5人のうち、4人は単独者だった。
雪渓を下ってからの鉢伏山の登り返しがなかなかきつい。行きではあまり感じなかったが、このコースは下山時の登り返しがけっこうこたえる。かと言って歩かないことには下山できないので、ひたすら目の前の道を踏み進んでいくしかない。
鉢伏山で最後の展望休憩をとるが、虫が大量に寄ってきてじっとしていることができない。そのうち、ハッカ油スプレーがなくなってしまい、虫を防御する手立てが尽きてしまった。
地蔵峰の標識を今度は確認し、ブナの樹林帯で涼みながら長い下り道を行く。木の枝越しに見えていた飯豊連峰の雪山もいつしか見えなくなっていた。ようやく見晴まで下り着き、隠しておいたミニペットボトルを一気飲みしつつ最後の休憩を取る。
だいぶ足も疲れてきたので、急坂をころげないように慎重に下る。樹林の間から垣間見る日中ダムの湖面がどんどん近づいてくる。鳥居の立つ登山口に下り立ったのは午後2時20分。今回の行動時間は10時間近くなった。
駐車場に戻ると、日中温泉ゆもとやの団体宿泊客が、バスで上がってきていた。その「日本秘湯を守る会」会員の日中温泉に入ることを楽しみにしていたのだが、日帰り入浴の受付は2時半までで、タッチの差ではいれなかったのが至極残念である。
次候補として、車で下り熱塩温泉で一番大きな旅館で立ち寄り入浴しようとしたが、団体客が入っているので混んでいると言われた。さらに観光バスがもう一台入ってきた。
熱塩温泉の旅館は、昨日泊まったところのように静かで安い旅館が多い一方、この旅館だけが営業熱心でお客をたくさん集めていて、他の旅館が割を食ってあまり繁盛してないように見える。立ち寄り入浴は結局、この少し奥に入ったところの旅館を利用した。
塩分の効いたお湯でさっぱりしたらおなかが空いたので、温泉街の入り口にある、おばちゃんが一人で経営する食堂で喜多方ラーメンを食べていく。
おばちゃんが言うには、飯森山も以前、他の会津の山と同じく地元で人を募って登山ツアーが行われたこともあるそうだ。しかし、やはりまとまって歩く山としては距離が長く、特にご婦人方には辛い山だったようだ。地元ではむしろ沢コースのほうもよく歩かれてもいるそうである。
ゆっくりしていたら、もう4時近くになってしまった。飯森山に登ったのと同じ時間をかけて、東京に帰ることにする。