中央線沿線から御坂にかけての山域で未踏だった文台山(ぶんだいさん)にようやく登った。
山は大きく存在感があるにもかかわらず、展望に乏しく地味な山稜で、尾崎山からの縦走コースにしても距離が短くあまり歩きがいがないと思い、後回しになっていた。
地図を見ると、都留市駅から富士急行に沿って一本の尾根が伸びていて、この縦走コースに接続しているのに気づく。さらに調べると、これは都留自然遊歩道というハイキングルートとして地元が整備したものだった。一般の登山地図に掲載されており、都留市トレッキングマップにももちろん載っている。駅からすぐに取り付け、眺めもいいらしい。文台山とこのコースをつなげてみることにする。
標高差や体力的な面から、バス利用で細野からまず文台山に登りたいが、バスの運行期間は11月(正確には11月第3週)までである。となると逆コースでいくか。都留市駅から歩きはじめるには参考となる文献があまりなく(新ハイキング誌の近号にこのルートが掲載されていたようだが、読み損なっていた)、取り付き口がよくわからない。とりあえず現地に行ってから探すとする。
自然林に囲まれた文台山山頂
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朝、中央線の新宿駅で人身事故があって、電車が1本遅れてしまった。初めてのルートだったので早くから歩き出したかったのだがしょうがない。大月駅で富士急行線に乗り換え、都留市駅着は8時過ぎになった。
空はどんよりとした曇り。時折り細かな雨が頬を打つ。どうもこのところ、土日の天候が芳しくない。
富士急行線・都留市駅。市の名前の駅の割には質素な造りの駅舎
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都留市駅から出発 |
尾根に乗ってからすぐ、深田発電所の上部を通る。発電所下からも道が上がってきていた
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深田発電所 |
烽火山から南方の眺め。左の文台山には雲がかかっていた。右の平頂は尾崎山
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曇りの中の眺め |
鍛冶屋坂の水路橋。「水のまち」都留市には鹿留、谷村など、桂川の豊富な水量を利用した水力発電所がいくつかある
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水路橋 |
元坂から少し登ると、地元小学校の卒業生の記念植樹の場所となっている
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記念植樹 |
記念植樹付近はあずまや、ベンチがあり、眺めもいいので休憩にいい
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休憩適地 |
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閑散としたバスターミナルを横目に、都留市駅を出発。正面の通りを行く。左手の深田発電所から登るのがわかりやすそうなのだが、西涼寺の墓地から取り付くのが近い。適当なところで左折し細い路地を抜けると「金山」と大きく書かれた西涼寺の前に出る。左手の墓地につけられた階段を登る。少々うろうろしたが、意外とあっさり山道が見つかった。
ジグザグの登りは急で息が切れるが、すぐに尾根に乗る。「遊歩道」の標識が立っていて、これ以降何度も見る。反対側から道が上がってきた。田町公園からのルートだろうか。
笹がうるさいところもあるが、やがて前方にこれから歩く稜線が見渡せた。
No.2と書かれた鉄塔には指導標がかかっていて、来た方向を「田町方面」と書かれていた。そのすぐ先でダムのような施設があり、やはり道が上がってきていた。これが深田発電所コースと思われる。
その先の小さなピークに立つと眺めが開けるが、雲が多く富士山はない。足元の町並みはまだすぐ下に見える。里山というよりも、家の裏山を歩いている気分である。小さい頃、こんな裏山が家の近くにあったら遊ぶ場所に事欠かなかっただろう。
眺めのいい尾根道を歩き、アンテナの立つピークに上がる。山名表示はないが、登山地図には烽火山とある。ノロシヤマ、と読むのだろう。大月市の岩殿山には武田家ゆかりの城郭があったが、ここで烽火が上げられればよく目立ったことだろう。いかにも甲斐の国らしい山である。
金網が邪魔だが四方の眺めが開けている。九鬼山、鶴ヶ鳥屋山、三ツ峠山などが見えるが、自分の目指す文台山は上部が雲に隠れていて、御正体山は下半分しか見えない。富士山は・・・本来どこに見えるのかさえわからない。やっぱり天気のいい日にここは歩きたかった。
小休憩の後出発。指導標も多くあり、円通院への下り道を分ける。高速を走る車の音や、町の雑踏が常に耳に入ってくる。送電線沿いの道は小さなアップダウンを繰り返し、次第に高度を下げていく。見下ろしていた町並みがだんだんと近づいてくる。小学校の校庭が見え、子供の声まで聞こえてきた。
すぐ下に下山地点が見えるところまで下りきると右手に水路橋が見えてきた。山道はこれをくぐることはない。この遊歩道は送電線巡視路であると同時に、富士山から大月方面に向かう水路を見ながら歩く道でもある。
高度はいくらか回復する。犬の散歩をしているおじさんに出会った。上り下りを繰り返しているうちに切り通し状の場所に下り立つ。元坂というところで、ここにも大きな水路橋がある。橋脚を表す英語のpierから、地元ではこの水路橋をピーヤと呼んでいるそうだ。
「学校林」と書かれた大きな看板が現れると、ベンチのある開けた場所に出た。記念植樹の木柱と看板が立っている。地元の小学校が卒業記念として桜やカエデなどの植樹を行っているようで、看板には卒業生の名前がズラリと並んでいた。ここにはあずまやもあるので、眺めもいいし天気がよければ格好の休憩地点である。春は植樹された桜も咲くであろう。
楽山公園に下る道を確認してさらに尾根道を行く、やがて緩やかな登りが始まる。植林下の713mピークを越えると分岐になる。ここで遊歩道の標識の立つ道と別れ、尾根通しは踏み跡程度の道となる。遊歩道と山道はやはり違う。尾根通しに行けば尾崎山の稜線に出るはずである。
はっきりとした登りとなり、露岩の出たヤセ尾根を通過するあたりは傾斜がきつく、木につかまってやっと体を引き上げる。樹林越しに見る町並みはいつの間にか小さく遠くなり、急に高度を上げたとわかる。
888m地点でいったん尾根の肩に出て、斜度のなくなった稜線をしばらく進むと、前方に尖がったピークが見えてくる。自然林の多い尾根道を歩き、その935m圏ピークに登りついた。
樹林下の狭い場所で、わずかな切り開きから鹿留山の大きな山体が見えるのみ。その横に見えるはずの富士山はわからなかった。右は尾崎山、左は文台山に至る縦走路である。来た方向は木の枝で通せんぼがしてあった。
標高差の少ない尾崎山に向かう。短い岩尾根を急下降したあとは、緩やかな登り勾配の尾根道となり歩きやすいが、南側が檜の植林のカーテンでである。富士山にこんなに近い場所にある山稜なのに全く見えない。
書「中央線の山を歩く」によると、昭和60年頃のこの一帯はまだ植林前で、開けた高原状の斜面だったそうだ。富士山もよく見えたことだろう。
ところどころ、掘り窪められた場所に出会うが、戦国時代に城郭だった山でよく見られる地形である。家に帰って調べたら、武田勝頼がここ尾崎山に陣城を構えたようだ。
倒木を越えて着いた尾崎山の山頂は、小広い平坦地だが樹林の中で眺めはない。日当たりのよい場所で昼食にした。しばらくして10名ほどの団体がやってきた。犬の散歩のおじさん以来、久しぶりに人に会った。文台山からの下りは急傾斜で大変だったそうだ。
935mピークまで戻ると、鹿留山の後ろにわずかに富士山が顔を見せていた。そのまま直進し文台山に向かう。
最初の下りがグズグズの急斜面で難路だった。檜林のジグザグ下りに雪はないのだが、湿っていてうっかりすると滑落しそうだ。木につかまりながら何とか下る。やがて左手に網フェンスのある尾根を歩くようになる。フェンスを支えるための針金が足元に伸びていて何度も引っ掛けそうになる。この部分、眺めのよさそうなところはあまりないので、フェンスから距離を置いて歩きやすい場所を進んだほうが無難だと思った。
最低鞍部まで下るとようやく、北東方向に2つの峰が望めた。今倉山と道志二十六夜山である。赤岩という展望台のあるいい山だが、もう10年以上登っていない。
文台山への長い登りに入る。まだ標高差300mを残しており、地道に高度を稼ぐしかない。935m圏ピークに登る道もけっこう大変だったが、ここから先もかなり骨の折れる登りのようである。霜が溶けたばかりの落ち葉道に何度も足を取られながら、場所によっては3点支持で這いつくばるように登る。
周囲は見ごたえある自然林となり、新緑の時期は出色であろう。鞍部から1時間近い登りで、ようやく斜度が緩み、文台山西峰にたどりついた。苦労して登ったかいあって、自然林に囲まれた山頂は広くて山深さもあり、雰囲気がとてもよかった。木の間から北面に都留市の町並みが見下ろせるくらいで、展望を当てにする山ではない。以前は「展望台」との大きな看板が立っていたそうだが今はそれもない。
樹林越しではあるが、正面に御正体山が大きく、堂々としている。山頂には霧氷になっているようだ。文台山と御正体山は、一緒に見えているハガケ山のギザギザした稜線を通じて尾根続きになっているので、歩いてみても面白そうだ。
ここまで時間がかなりかかってしまった。朝の電車が遅れたせいもあり、予定のバスに乗るにはあまり時間的余裕がない。文台山東峰を経て細野へ下山開始とする。
御正体山への尾根道と別れ、北東方向へ尾根を下る。自然林が続く道はそれほど急下降というわけではなく、今までと比べれば道もはっきりとしていて、歩きやすい。
小さいコブをいくつか越えて993mピーク。そこからは一気の下りで細野・小野分岐に下り立った。どうやら細野からのバスには間に合いそうだ。
ちなみに左折して上小野に下ると、30分ほどの車道歩きで谷村町駅に行くことができるはずなのだが、「この先行き止まり」との看板が立っていた。上小野に下山できるのかどうか不明である。
植林帯を下って林道へ出る。数人の若い女の子が軽装で歩いていた。地元の中高生のようである。林道をショートカットして下ると里道に下りた。御岳神社は通らなかったので、どうやら通常とは違う下山路を歩いたらしい。
川を渡ったすぐ先の国道沿いに細野バス停があった。都留市駅までバスで戻る。
標高の低い遊歩道から深いヤブ尾根へと、今日はずいぶんとバラエティに富んだ歩きがいのある山行となった。