大ドッケは、長沢背稜から大平山に伸びる支尾根上にある、標高1315mの山である。東面の1200m付近には、東京周辺の山では珍しい福寿草の一大自生地があり、知る人ぞ知る秘峰となっている。 福寿草自生地をぜひこの目で見たいと、あおむしさんの掲示板で知り合ったおてんきさん夫妻といっしょに挑戦することとなった。 都心では桜が満開となった3月23日、5時38分池袋発の西武線車内でおてんきさん夫妻と待ち合わせる。天気予報とは違ったどんよりした空模様に、3人ともやや足取りが重い。福寿草は天気が悪いと、空に向かって元気よく開かないそうだ。 西武秩父駅から少し歩いて、浦山大日堂行きのバスに乗る。乗客は自分たち以外に2人。地図を広げて、どうやら大ドッケの話をしているようだ。渓流荘バス停に着くと、さらに10名近いパーティーが大ドッケ方向に歩いて行くのを見る。知る人ぞ知る秘峰のはずではなかったのか?やや拍子抜けだが、踏み跡の不確かな山ということなので、他に登山者がいることに少し安心感も湧く。
川を渡りしばらく林道を進む。指導標も何も無く、最初から25000地形図と首っ引きである。 2,3軒の民家のある場所から右上に細い踏み跡が上がっている。そばを歩いていた地元のおじさんに道を聞く。「これを上がってしばらく行くと山道になるから、杉林のところで左の沢に下りないと迷ってしまうよ」 770m付近の沢分岐に着くまでは、そんな分岐があるとは思わなかったので半信半疑に思う。 高みに上がり、ゆるやかな上りの山腹の道が続く。後光の輪のあるお地蔵様を見、いくつかの尾根を乗っ越す。先頭のおてんきさんの旦那さん(通称・地図屋さん)は、常に地形図で今の居場所の把握に努めているので心強い。
しばらく行くと、右上に細久保集落と思われる家が見える。集落に上がる道もあるが、林道は集落の下を巻いている。渓流荘の人の話によると、ここには90歳のおじいさんが1人で住んでいるそうである。 さらに進むと左側の展望が開ける。木々は芽吹いていないが、キブシ・アブラチャン・ダンコウバイなど黄色い樹の花を見る。おてんきさんはアブラチャンとダンコウバイの見分けがついたらしい。大きく黄色味の強いほうがダンコウバイだそうである。 山腹の道は谷側が下がっており、平坦ながらも歩きにくい。ところどころ崩れていて慎重を期すところもある。反対側の斜面にはわずかだが雪が残っている。 トタン屋根のある場所を2箇所過ぎ、沢へ下る道を見つける(770m沢分岐)。さっきのおじさんの言っていたのは、結局ここのことだったようである。かえって混乱してしまった。 ここからは沢沿いにゆるやかに登高する。自分が先頭を歩く。靴を濡らすような場所はないが、道形はほぼ消えている。1歩1歩をどこに足を下ろしていいか、考えながら歩く感じである。いつもとは違った、自然にごく近い山歩きをしている感触がある。
おてんきさんがハナネコノメを見つける。思ったよりもずっと小さい花だった。 先行していたパーティーが休んでいる。笑いながら、「どこに行くんですか?」と問われる。野暮な質問である。 ここらあたりから、斜度はぐっと増す。周囲にはガスが立ち込め、あられが降ってきた。降っている量はそれほどでもないのに、バラバラと音がすごい。こんな天気では福寿草がしぼんでしまう。 ようやく福寿草自生地に到着。バス停から3時間近くかかった。 広さでいえば野球のダイヤモンドくらいであろうか、一面に緑の葉っぱと黄色い花で埋め尽されている。しかし、やはりこの天気ではしょうがない、花は大方がダラッとしおれるように咲いていて、元気よく上を向いたものがない。そのため黄色よりも葉の緑が目立つ。 全くの自生地ではあるのだが、誰が付けたのだろうか人の歩ける踏み跡が縦横に走っていて、どこか人為的なものも感じられる。 しかし不思議なのは、黄色と緑で埋め尽されているのは本当にこの一角だけで、周囲は枯葉と樹木ばかりで全く咲いていないのである。この場所が何か特別な力の働いているエリアのように思えてしまう。
大ドッケへは登らず、来た道を戻る。あれほど歩きにくかった沢沿いの道も、上から見るとところどころ踏み跡が通っているのに気づく。 沢から離れ山腹の道となると、行きには気づかなかったスミレや咲いたばっかりのヒトリシズカなどを見ることができた。やはり、行きは道を見極めるのに3人とも一生懸命だったようである。
林道を歩かず、ここからすぐに取り付いてしまうほうが近道のようである。 バス停の上にある渓流荘で風呂に入り(1人210円と安い)、タクシーで駅に戻った。天候はすっかり回復し、青空と白い雲の間に武甲山が輝いていた。 今回は天気が悪く残念であったが、はつらつとした二人と歩けたことが楽しかった。さあ果たしてこの場所への再訪はあるのか。しかしここもいずれは、人の手の入った園地みたいになっていく運命にあるのだろうか。次に来たとき、指導標完備の階段付き登山道を登ることになってしまっていた、なんていうことがないとは言えない。それはそれで悲しいものがある。
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