秩父御嶽山は江戸時代、麓の落合集落に生を受けた「普寛上人」が開山した山である。
普寛上人はむしろ木曾御嶽山の王滝口の開祖として知られている。日本に数多くある「おんたけさん」は元来、高く険しい木曾御嶽の代わりの登拝路として各地に切り開かれたものだ。開祖が自ら生地の山に登山道を設けたということで、この秩父御嶽山は特に、由緒のある信仰の山ということが出来るだろう。
登山としては3時間程度の小さな山であるが、標高は1000mを越え、付近の山から眺めても割合どっしりとした山容を呈している。
秩父の町並みと武甲山
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秩父御嶽山頂上
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秩父鉄道三峰口駅から西方向へ歩き出す。秩父御嶽山は、目の前に大きくそびえるピークの峰続きにある。白川橋を渡って右折。正面のフェンスの張られた岩壁に何匹もの猿がよじ登っている。
小鹿野へ向かう県道に入ると贄川(にえがわ)の集落が見えてくる。看板にもあるように、ここはかつての秩父往還の際に宿場町として栄えた場所だ。木造りのどっしりとした門構えの民家や宿が並ぶ。町分登山口は集落の手前の小道に入ったところにある。
雪は全く無い。杉林の急登を踏ん張りながら高度を上げると、すぐに雑木の明るい道となる。背後に秩父の町並みと秩父鉄道の線路が見下ろせ、それを取り囲むように武甲山、熊倉山が堂々としている。
いったん傾斜が緩み、木の向こうに笠山・剣ガ峰など奥武蔵の山々が眺められる。やがて暗い杉林に入り、ひたすら距離をかせぐ。北面にさしかかると、斜面にわずかに雪が見れる程度。稜線に出て再び日の光と出会う。猪狩山からの登山道が出会うところでタツミチと呼ぶようだ。
駅に近い山の割にはここまで意外と指導標が少ない。地名を現すプレートなどもほとんど見られない。
この後しばらくは右は雑木、左は植林帯のやせ尾根となる。明るい中を気分よく進むが、右下の方から林道工事の音が聞こえてきて気分を壊す。よく見下ろすと、かなり上の方まで林道が延伸されて来ている。信仰の山でも開発は不可避なのか。
木の間から、ようやく御嶽山の山体が見えてくる。山腹に巻き気味に付けられた、最後の急登。秩父盆地が広く見渡せる。四方を山稜に囲まれた秩父の町は箱庭のようだ。しかし、ところどころで桧の幼林が展望を遮る。なお頂上では東面の展望が効かないので、この登りでしっかり眺めておくといいであろう。
強石への分岐を過ぎると、社が現れ、すぐその先が御嶽山頂上となる。祠が鎮座し非常に狭く、5人ほどで満員になってしまいそうだ。
展望は南西方面が素晴らしく、遠くは浅間山、西上州の山々と何と言っても両神山が見ごたえある。両神山は、昨年同時期に城峯山から見た時に比べて雪が非常に少ない。ここ御嶽山から峰続きになっている様にも見える。
そして南には奥秩父主脈の山々。正面に高くそびえるのは飛竜山と少し傾いた三角錐の雲取山だ。雲取山は標高の割には目立たない、ずんぐりむっくりとした山なので、これほどこの山がはっきりした形で見えるのも珍しい。
なお頂上には同定盤が設置されているが、少し角度が西寄りに向いていて、雲取山を指す方向に飛竜山が位置している。
下りは最初、鎖やロープが架けられた急な岩場でいやらしいが、距離は短くすぐ鞍部へ着く。落合へは左折するが、直進する山道も、どこまで続いているのかわからないが惹かれるものがある。
麓まではもう小1時間ほどである。ただここからがなかなか骨の折れる下りであった。
最初は杉林をジグザグに下り、やがて伐採地に出る。林道工事の真っ最中で、「普寛トンネル」なるものが出来つつある。若干登山道が付け替わっているようで、伐採地と植林地の間の、不自然な一直線の急降下道に慎重を要す。
沢沿いの道となる。この沢は「王滝沢」と言い、木曾御嶽の王滝と関連があるのかもしれない。そういえばこの秩父御嶽山を中心とした地域は埼玉県秩父郡「大滝村」である。普寛上人が切り開いた木曾御嶽の王滝口道は「王滝村」からの登路、これは偶然なのだろうか。
道は王滝沢を高巻いたり横切ったりで気が抜けない。ところどころザレがあったりして、足任せに下ろうとするとスリップの危険のある場所も多い。幸い雪が登山道を覆っている部分は少なかったのでよかった。
やがて前方が明るくなり落合集落の車道に出る。すぐ脇に普寛神社の大きな建物と鳥居がある。やはり少し歩き足りない気がしたので、強石分岐を下山路に取り、杉ノ峠から落合に向かうのもよかったかもしれない。
10分ほど車道を歩き「大滝温泉遊湯館」に立ち寄る。浴室の大窓からは御嶽山と今下ってきたあたりが見上げられた。意外とゴツゴツした、修験道らしい岩山である。
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