東京・埼玉は、やはり今にも降り出しそうな空模様。そんな中を電車で北上し、上越線で水上駅まで来る。一部青空が覗いているが、山のほうは厚い雲に覆われていた。
巌剛新道の登山口
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一ノ倉沢の岩壁
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バスで谷川岳ロープウェイ駅まで行く。コースを決めてなくて、ロープウェイを使おうか迷ったが、そのまま西黒尾根に向けて旧道を歩き出す。
登山指導センターで水を補給し、しばらくで西黒尾根の登山口に着く。いや、この先にある巌剛(がんごう)新道はまだ歩いていなかった。今日はこの道を使ってみようと思い立った。
林道をさらに行き、左手に小さな巌剛新道の登山口を見つける。周囲はガス、時折霧雨が飛んでくる。
登山口からは、平坦な山道が続く。沢を横切り、あるいは沢沿いに進む。歩き易い道ではない。霧雨ではなくしっかりした雨になった。
少し登って、前方が開ける。一面のガスで雨がかなり落ちてきた。今日の天気予報は元々悪いものの、崩れても午後からと考えていたが、やはり山だから天候悪化は早いようだ。
これはもう天気回復の望みはないだろう。そう思って、今回はあまり迷うことなく撤退を決める。来た道を戻る途中で、雨具フル装備の人とすれ違った。
今日は水上温泉に一泊する予定。このまま駅に戻っても時間をもてあますだけなので、兼ねてから一度は見たいと思っていた一ノ倉沢の岩壁を見に行くことにする。
巌剛新道の登山口からはさらに、旧道を進む。左手の斜面はブナなどの広葉樹が豊かで、山に登らずこの道を歩いているだけでも、自然の精にふれることが出来る。
少しすると頭上が明るくなってきた。日が差し、青空が覗く。樹間から西黒尾根の岩の稜線が見える。さっきの雨模様から30分もしないうちにこんなに天気が回復するとは。
やはり今日は、いくらなんでも諦めが良すぎた。ロープウェイで天神平まで上がってしまえば、登ってしまっていたかもしれない。しかしもう後の祭り。
やがて目の前が大きく開ける。駐車場には車がいっぱい、そして多くの見物客。
一ノ倉沢の岩場にはまだ小さな雪塊が残っていた。クライマーの姿も見える。上部はガスが取れないが、見ていて威圧されるような眺めである。
旧道から新道へ下る道が分岐する
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そのすぐ先、道側面の岩盤に多くのレリーフ(遭難碑)が埋め込まれている。
「○○君、ここに眠る 昭和48年」となどと書かれている。レリーフはその先も数多く見られるが、その8割は昭和40年代のものだ。当時は谷川岳がクライミングのメッカとして脚光を浴び、多くの遭難者を出して社会問題にもなった。レリーフに記されている遭難者の年齢も20代が主で、中には10代もある。
平成の遭難碑もあるのだがぐっと数は少ない。クライミング人口が当時ほどではないというのと、やはり装備の技術の進歩で滑落などの事故が減ったせいもあるのだろうか。
いずれにしても昭和40年代は、血気盛んな若者は山に、とりわけ岩に向かっていたのだ。谷川岳旧道は時の流れを感じさせてくれる。
道はダートに変わる。この旧道は、明治時代に上州と越後を結ぶ交易路として栄え、現在も国道扱いとなっている。越後側は居坪坂コース(馬道)方面に通じるが、本来の国道は崩壊で廃道となっている。一方上州側はこのように、今でも立派な道が残っている。
ロッククライミングの人といい、先日の謙信ゆかりの道といい、いつの時代もこの山、この峠を越えようとする人々がいる。
幽ノ沢からも大きな岩壁が望める。天気はすっかり回復してしまった。右手の白毛門、笠ヶ岳の稜線も雲間から姿を見せ始める。
新道へ下る分岐に出合う。旧道をこのまま先に進めば蓬峠に行き着く。周囲の木々は新緑時の輝きは失せたが、ここは5~6月ごろ、新緑の時期はいいハイキングコースになるだろう。蓬峠越えもよさそうだ。
分岐を下る。巌剛新道を出てから、ようやく登山道らしい道になった。石がゴロゴロした道を、どんどん高度を落とす。意外と早くJR巡視小屋の屋根が見えてきた。
巡視小屋の前で休憩し、土合への道を行く。笠ヶ岳がはるか上で笠の形をしてそびえている。
こちら側の道は新道ということだが、山道の雰囲気はこちらのほうがある。すっかり天候の回復した森の道は木漏れ日が気持ちいい。新道のほうは幽ノ沢、一ノ倉沢は渡渉で、石伝いに渡る。難しくはない。
一ノ倉沢のほうは橋が外されていたので、橋脚をよじ登るようにして対岸に上がったが、そんなことをしないでも、周りをよく見たら簡単に渡れる場所があった。
広い駐車場を通って、開けた谷を行くとやがて土合橋に着く。湯檜曽川は先の台風9号の影響はほとんどないようで、青々とした清流を放っている。行きの高崎線で渡った河川はどれも泥の色をしていたのと対照的だった。
バスで水上駅に戻り、喫茶店て時間をつぶしてから水上温泉へ歩いていく。上越線は昨日・今日とSLの走る日だそうで、線路脇に多くのカメラマンと三脚が立っている。
水上温泉街はお祭りで神輿が出ていた。旅館の人の話によると、神輿は例年夜だったのだが、今年は昼になったそうだ。「おいで祭り」は「お湯が出た」ことを喜ぶいわれとのことである。無色でほのかな甘い香りのするお湯は柔らかく、熱くもないのでゆっくり入れる。
5階にある露天風呂は開放感いっぱいで、谷川主脈の前衛の尾根、そして眼下には上越線の線路も見えて楽しい。
今日はあまり歩けなかったが、谷川岳の懐のいで湯で一泊出来て意義ある1日だった。
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